でじたけの「人生日々更新」つくられる歴史〜お吉にされた美少女-その1

Episode No.4553(20130325)[偉人]Great man

つくられる歴史
〜お吉にされた美少女-その1
The history is made artificially 01.

今週も飽きずにお吉関連の話にお付き合いを…。

例によっていろいろ調べながら書き進めていくと、
発見の連続で、非常に長くなってしまった。

…なので、
一応一話完結を心がけつつも、
何回かに分けてお話しさせてもらおうと思う。
せっかく知ったトリビアなので、ね。

さて…
幕末維新あたりの歴史話が好きな人は、
数え切れないほどいるだろう。

日本という国が大きく変わった、
この上ないドラマチックな時代…それが幕末維新。

ただ、そういう意味では戦国時代だって、
やっぱりドラマチックであったには違いない。

幕末維新の人気を決定づけたのは、
やっぱり…坂本龍馬でしょう。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』
「産経新聞」に連載を開始したのは、
1962年の6月…ということは、
私が生まれて2か月後のことですな。

その後も龍馬ものは数々出版されたけど、
今みんなが知っている
坂本龍馬のイメージを作ったのが
『竜馬がゆく』であることは誰も否定しないでしょう。

それまで日本人のヒーローといえば、
清水次郎長だったのにさ。

次郎長こと山本長五郎は、
やはり幕末維新を生きた人。

次郎長といえば時代劇のイメージが強いけど、
亡くなったのは明治も後半の26年=1893年。
ちなみに明治は1912年まで45年続いてる。

勝海舟、高橋泥舟とともに
「幕末の三舟」と称される幕臣で無刀流の達人、
山岡鉄舟と交遊が深かった次郎長は、
鉄舟の紹介で
一時養子に迎えた天田愚庵(天田五郎)が書いた
『東海遊侠伝』で全国に名を売ることになった。

この『東海遊侠伝』は、
1884年(明治17)に次郎長が
賭博犯処分規則で逮捕された際、
次郎長に恩のある天田愚庵が世論をあおり、
次郎長釈放の恩赦を勝ち取るべく書いた
…いわば次郎長のPR本だ。

そのおかげもあって次郎長は、
刑期の満了を待たずに仮釈放になっている。

その後『東海遊侠伝』をベースに
大正時代に活躍した講釈師・三代目 神田伯山が
『清水次郎長伝』を作り出し、人気となる。

この時、伯山の付き人だったのが、
後の名浪曲師・二代 広澤虎造

虎造は、浪曲版『清水次郎長伝』を作り出し、
その唸りは、
放送が始まったばかりのラジオに乗って
全国で爆発的な人気となる。

その後、映画化されると、
アクションにもってこいの次郎長人気はさらに加熱。

しかし、1964年(昭和39)に虎造が亡くなり、
浪曲人気が下火になると同時に、
この年にあった東京オリンピックを境に
ラジオからテレビの時代に突入すると、
時代は新しいヒーローを求め始めた。

そこに登場したのが、
1968年の年明けとともに始まった、
明治百周年を記念して制作された
NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』。

原作は、もちろん司馬遼太郎。
竜馬を演じたのは北大路欣也。
竜馬の妻、おりょうは浅丘ルリ子が演じていた。

桃太郎侍こと高橋英樹は、
武市半平太を演じているが、
この作品で初めて本格的な時代劇を経験したとか。

そして、なんと美剣士、沖田総司を
今では演出家となった蜷川幸雄が演じている。

また、演出を手がけたのは、あの和田 勉で、
スタッフ、キャストとも、
後々まで大活躍する人たちが結集して作られた。

ところが残念なことに、
この時代はビデオテープが高価だったため、
現存しているのは、第16話『脱藩』のみ。

有名人には必ず伝記物語がある。

それも、かなりドラマチックに脚色され、
誰もがハラハラドキドキする物語が…。

はたして坂本龍馬の物語は、
いったいどこまで本当だったのか…?

そして、土佐藩を脱藩し、
いわば指名手配となった坂本龍馬の
飛翔の地として知られる伊豆下田、宝福寺。
そこに眠る幕末の悲劇のヒロイン、お吉

お吉記念館に掲げられた
お吉19才の肖像写真の真相は…

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