Episode No.686(20001107):スタイルを見つけ出せ!
桃中軒雲右衛門・・・とうちゅうけんくもえもん、と読む。
たぶん知ってる人は、まずいないと思うが・・・雲右衛門こそ、浪曲の元祖と言われた男。
雲右衛門の成功があったら、私の好きな二代・広沢虎造の成功があったといっていい。
今日、11月7日は、この桃中軒雲右衛門の命日。
享年43歳・・・早くに成功した人って、どうして早死になんだろう?!
まるで、一生分の強運をつかい果たしてしまったようにも思える。
パッと思いつく例外は・・・チャップリンくらい、かな。
何故、桃中軒雲右衛門が浪曲の元祖といわれるのか・・・ちゃんとした理由がある。
雲右衛門が登場するまで「語り」の代表的な芸には「落語」と「講談」があった。
「落語」は今でもテレビでやるから、どんなスタイルの芸かはわかると思う。
「講談」は少し前なら田辺一角っていうヒゲのおじさんが、扇子を叩きながらやっていけど・・・
わかる人は30代後半以上・・・だろう。
「落語」の縁者の前には何も置かないが「講談」の縁者の前には小さな台がある。
「講談師、見てきたような嘘を言い」なんて言葉もあるけれど・・・
「講談」は、テンポ良く歴史物語などを語る芸・・・いわば、紙芝居の絵がないような感じ。
「浪曲」も物語を語るのに違いはないが・・・
「浪曲」の「曲」。
あるいは「浪花節」の「節」という言葉が付いているコトからもわかるように・・・
「唸り」と呼ばれる「歌」付き。
基本的な物語の流れや、会話の部分は「落語」や「講談」に近いが・・・
「相三味線」と呼ばれる三味線のおばさんが控えていて・・・
物語の肝心な部分は「歌」になる・・・ミュージカルとも言える。
そのほか「落語」や「講談」と見るからに違うのは・・・
「落語」や「講談」が座って芸をするのに対し「浪曲」は立って芸をする。
「唸り」をきかせるためには、座っているより立った方がやりやすいのだろう。
桃中軒雲右衛門が、浪曲の元祖と言われるのは・・・初めて立って芸を見せた芸人だったからだ。
以後「講談」から分かれた「浪曲」は演台を前に立って見せるモノになった。
今日でdigitake.comも連日更新800日目を迎えた。
独自のスタイルが確立できたかどうかは、まだよくわからないが・・・
最初とは、ずい分違うし、自分なりに書きやすく読ませやすいスタイルにはなってきたとは思う。
正直言って最初の頃の方が、今よりはるかに時間をかけて調べモノをしていたし中味も濃かった。
でも、それは雑誌に書くスタイルをそのまま持ってきていただけのコト。
連日更新するインターネットには、また独自のスタイルがあっていいと思う。
技術的なコトを言えば、一行の長さも印刷媒体とホームページでは読みやすさの点で異なって当然。
その場に合ったスタイル、自分に合ったスタイルをつかまないと・・・
決して長続きはできないよ、ね。
あとは、それを支持してくれる方々がいないと、ね。