Episode No.559(20000612):「人」を動かすのは「人」 今から107年前の今日・・・1893年6月12日、ある男が74歳で死んだ。 旅ゆけば〜駿河の国に茶の香り♪ で知られる清水港の山本長五郎・・・通称、清水次郎長である。 次郎長が明治に入ってから畳の上で死んだことは意外と有名な話。 最近でも年末特番で次郎長伝をやるコトは少なくないが、単なるチャンバラ時代劇ではなく、人間・山本長五郎を明治まで描いているものが多い。 房総沖で暴風雨に遭い、修理に寄った清水港で官軍に攻められて死傷した旧幕府水軍の死骸を「官軍も賊軍もねぇ、死ねばみんな仏だ」と言って引き上げ、丁重に葬った『壮士の墓』は次郎長の建てた墓として今も清水に残っている。 剣と達人として知られ、勝海舟の下で働いた山岡鉄舟を「自分の親分」と言い切った次郎長は、鉄舟のはからいで晩年は土建業を営んでいた。 次郎長の菩提寺として知られる梅陰寺には、鉄舟が次郎長に送った書や、一の子分、大政が使ったとされる槍が展示されているのを見たことがある。 幕末から明治にかけての人だから、写真も残っている。 テレビで見る有名人の中で最も似た人を上げるとすれば・・・ニュースキャスターの料治直矢かな。 最近、見ないと思って、ちょっと調べてみたら・・・'97年に亡くなっていた。61歳で。 晩年の次郎長は世のため人のために、地元の顔役としてよく働いた。 開国してこれからの時代は英語が必要だと聞くと・・・なんと英語塾まで開いた。 ある寺の山門が貧弱だと思えば、地元の衆に渡りをつけて先頭に立って寄付金を集め、リッパな山門まで寄贈した。 その寺は静岡市内にある臨済寺と言って・・・実はうちの父方のお爺ちゃん、お婆ちゃんは、この寺に眠っている。 何度も墓参りに行ったのに、あの山門に「清水・山本長五郎」と刻まれているコトは本で知っただけで、まだ直には確認できていない。 ヤクザでも土建屋でも、地元の顔役でも・・・大切なのはリーダーシップ。 そのリーダーシップを発揮する根源となっているのは、やはり本人の価値観と人柄だろう。 その価値観に基づいて、自分の意見をハッキリと言う・・・するとハッと気づかされた人々が後から着いてくるという具合。 むろん人柄がよくなければ話は聞いてもらえない。 会社でもそうだけど・・・。 まず自分が「長」になりたいなんて了見でいると、なかなか人はついて来ない。 よほどの資金力があれば話は別だが、それは「人」にではなく「金」につられて来てるだけの話。 むろん、リーダーだけが最高の存在だと思わないけれど・・・。 いずれにしても・・・。 気がついたら、まわりに大勢人がいた・・・そんな風になりたい、ね。
参考資料:「明治の清水次郎長」江崎淳=著 毎日新聞社=刊 ほか
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