でじたけの「人生日々更新」歴史を身近に感じるには 生活感や年齢を重ね合わせてみると 面白いよ

Episode No.4533(20130301)[趣味]Hobby

歴史を身近に感じるには
生活感や年齢を重ね合わせてみると
面白いよ
How to learn the history happily.

歴史にあまり興味を持たない人は、
ペリーとハリスの名前は聞いたことがあっても、
区別がつかない人も少なくないだろう。
かつて自分もそうだったし…。

日本を開国させるために黒船に乗って
1853年と54年にやってきたのがペリー提督

大役を果たしたペリーがアメリカに戻った2年後…
1856年に初めてのアメリカ総領事として
下田にやってきたのが外交官ハリスだ。

さて、ハリスたちは当然、
ペリーから日本の様子について聞いてはいたが、
実際、下田に来てみると
…その様子は大きく違っていた。

何せペリーが帰った直後に起きた
推定M8.4の安政東海地震で
下田は壊滅的な状態になっていたからね。

早いものであと10日で、
東関東大震災から丸2年になるけど、
現地には、処理しきれない瓦礫の山があり、
復興には、まだまだ時間がかかる
…というニュースが後を絶たない。

ハリスが訪れたのも、
震災からまだ2年しか経っていない下田だった。

それから約2年間を、
ハリスと通訳のヒュースケンは下田・玉泉寺で過ごす。
そこで、唐人お吉伝説が生まれるわけだ。

その後、江戸に登ると、
1858年、大老・井伊直弼
日米修好通商条約が締結させたハリスは、
玉泉寺の領事館を閉じて、
元麻布・善福寺に公使館を開設した。

大老・井伊直弼が、京都の朝廷の勅許もないまま
条約を締結したことで売国奴と見なされ、
桜田門外の変で暗殺されたのは1860年3月3日のこと。

その翌年、1861年1月14日には、
ハリスの片腕となって働いていた
ヒュースケンが
外国人を実力行使で排斥しようという思想
…いわゆる攘夷(じょうい)派の武士に暗殺される。
享年28歳。
ハリスについて書かれた本に
ヒュースケンの遺体の写真というのが
載っていたけれど…本物かな?

ハリスが病気を理由に公使を辞任し、
5年9か月の滞在を終えて帰国したのは翌年の1862年。
この時、ハリス58歳。

ちなみに、この時、アメリカの大統領は、
あのリンカーンだったが、
リンカーンよりハリスの方が5歳年上なんだな。

晩年、ハリスは公職には就かず、
動物愛護団体の会員などをしながら暮らし、
1878年2月25日、73歳で死去。
今年はハリスの没後135年だったわけだ。

歴史の時間というと、
年表ばかり覚えさせられた記憶しかないけど、
こうしてあらためて、
その時、別な国では何があったとか…、
誰が何歳だったとか…
どっちの方が年上だ、年下だ…、
なんてことを組み合わせてみると案外面白いね。

だから…人生、日々更新。

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