でじたけの「人生日々更新」書かれたものが歴史になるなら 書いてしまえば歴史は変えられるかもな

Episode No.4525(20130220)[偉人]Great man

書かれたものが歴史になるなら
書いてしまえば
歴史は変えられるかもな
Women who became KICHI.

どうにもお吉のことが頭から離れず、
関連の本やネットの記事を読みあさったりしてる。

そこでわかってきたのは…
唐人お吉は、実は7人いた。
…という事実。

ま、お吉が7人いたという書き方は
少々大げさだけれど、
初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスと、
その通訳でオランダ人のヒュースケンに
侍女として仕えたのは、
お吉をはじめとした計7人。

下田郷土史研究会理事で
下田開国博物館相談役の肥田 実氏が
著書「幕末開港の町 下田」で書いている
「唐人お吉〜その虚像と実像」によると、
玉泉寺に残る侍女の記録は以下の通りとなっている。

ハリスの侍女…
きち 17才
安政4(1857)年5月22日から3日間(!)。
さよ 17才
安政(1858)5年7月16日から
12月14日まで、5ヶ月間。

ヒュースケンの侍女…
ふく 15才
安政4(1857)年4月27日から
10月4日まで、5ヶ月間。
きよ 年齢不詳
安政5(1858)年2月5日、即刻解雇。
まつ 16才
安政5(1858)年2月21日から
翌年12月29日まで、1年1ヶ月。

その後、領事館は下田から麻布に移り…

ハリスの侍女…
りん 18才
万延元年12月21日頃から
翌年2月末まで2ヶ月余り。

ヒュースケンの侍女…
つる 18才
安政6年8月6日から万延元年12月5日…
ヒュースケンが赤羽橋で暗殺されるまで1年4ヶ月。

しかも、驚くべきことに、
麻布でのヒュースケンの侍女、つるには、
ヒュースケンとの間に子供がいたという。

そっちの方が、唐人お吉物語より、
もっとセンセーショナルじゃないか?!
男の子だったらしいけど…
その後、いったいどうなったんだ?

ヒュースケンは
南麻布にある光林寺に葬られたというけど、
子孫は今も続いているのだろうか??

清水次郎長伝で人気者、
森の石松も実際にいたにはいたけど、
そのキャラクターは、
ほかの子分のエピソードとごちゃまぜにされて
作られたものらしい。

おそらく唐人お吉物語も、
実際の吉は、わずか3日しか奉公してないから、
はたして病床のハリスのために
本で初めて牛乳を買い付けてきたのが、
本当に吉だったのかどうかは…わからないな。

そうした功績も、
ラシャメン(洋妾)と忌み嫌われたのも、
7人の侍女たちのキャラクターを
一身に受けなければならなくなったのが、
最初の侍女、吉だったんだろう。

いずれにしても悲劇には違いない。

しかし、歴史は奥深い。
そして、理解しやすいように
変えられてゆくものなんだな。

書かれたものが歴史になるなら、
書いてしまえば歴史は変えられるのかもな。

だから…人生、日々更新。

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