20091018
でじたけ流 教育論

第481回

悲劇を笑え-digitake.com


「癒し」という言葉は
何だか「逃げ」に通じてしまうようで、
あまり好きではないけれど…

あんまり疲れすぎるてしまうと、
新しい刺激を求める気などまったくなくなり、
身の丈にあった安心を求めてしまうのが人情。

そもそも今の疲れ方は、おそらく私だけでなく、
現代を第一線で生きる
大多数の人が感じていることだろうけれど…
同じプラスを求める作業ではあるが、
1を2、3と増やす作業ではなく、
マイナスを何とか0に戻そうという作業であり、
いかに頑張っているつもりでいても、
その結果が達成感につながらない。

まず作業自体に疲れ…
そのまた結果を見て
疲れが増してしまうんだな、これが。

年齢的に疲れた肉体が、
なかなか元に戻らないということもあるだろう。
また…
若い頃と比べて、ある程度世の中が見えてきて、
気苦労が増えた、ということもあるかもしれない。

同じ時代を生きていたって、
子供はいつだって無邪気にはしゃいでいるから、ね。

…で、こんな時、元気をくれるのは、
その無邪気な子供だったり、
私の場合には虎造の浪曲だったりするわけ。

この間の晩は、
もうニュースを見る気力もなくて、
遅い晩飯をとりながら、引っ張り出してきたDVDを観た。

男はつらいよ〜ハイビスカスの花

もう何度も繰り返し観ているから、
飯を食う間だけ、ちょっと観ようと思ったのに
…結局、最初から最後まで観ちゃった。

誰もが知るように寅さんは喜劇だ。
だけどあらすじだけで見ると、こんな悲劇はない。
幸福がつねに幻で終わる、淋しい男の話。

考えてみると虎造の次郎長伝
あらすじだけとらえてみれば悲劇的な部分が多い。

次郎長の女房が旅先で病死する話や、
森の石松がだまし討ちで殺されてしまう話だからね。

だけど…
寅さんも石松も、
いざ観たり聴いたりしていると腹を抱えて笑っちゃう。
…これはいったい何故だ?

寅さんも石松も、まずキャラクターがいい。

どんな風にいいのかという共通点を挙げれば…
まず、子供と同じように無邪気である。
無邪気さが滑稽さを生み、それが笑いになる。

では無邪気であるというのはどういうことか?

悪く言えば馬鹿…だが、
馬鹿な故に
真っ正面から目の前の現実に向かっている。

決して利口ぶって、
物事を斜に構えて見ることはない。

寅さんや石松だけでなく、
両さんもドンキ・ホーテも同じだな。

そして、そんな風に
真っ正面で生きるキャラクターに
多くの人たちが共感を持ち、
それに接することで元気になれるんだろう。

そもそも人生が刑務所だとしたら
人生そのものが悲劇の舞台だもんな。
それを笑い飛ばすエネルギーを
誰もがほしがっているのだろう。

ウイスキーをグビグビやりながら、
今日の疲れを忘れつつ、
寅さんに大笑いしていたら…
わきでゲームをしていた中1の娘が、
やがてゲームを中断し、寅さんを観はじめた。

娘も、もう何度か観ていると思うのだが、
やっぱりついつい最後まで観てしまう。

大笑いしたり…
場合によっては大泣きしたりしても
効果は同じかもしれないが…
いずれにせよ、眠りにつく前に、
その日一日に積もった感情を
洗い流すように発散させてから寝ることは
…かなり重要なことかもしれない。

それが証拠に、
翌朝こうしてPCに向かうと、
あれだけ嫌になっていた仕事を
またちょっとやろうか、なんて気になってる。

子供たちから観れば…
今はただ、家に帰ると酒を呑み、
時には寅さんを観ているだけ
…にしか見えない父親像も
やがて子供たちが大人になって
同じように疲れてきた時にフッと思い出し、
「寅さん」を観ることが
バランスを保つための特効薬になったりしてるかもな。


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