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Episode No.776(20010220):叫びたければ・・・まず、黙れ

キツツキ・・・は漢字で書くと「啄木鳥」となる。

「鳥」という字をとると「啄木」。
「石川啄木」というペンネームは、このキツツキからとられたモノだ。

窓の外にある林では、いつもキツツキが木をついていて・・・
その音が啄木にとっては懐かしい、心落ち着く音色だったという。

啄木の故郷は岩手県。
本名、石川 一(はじめ)は・・・
明治19=1886年の今日、2月20日・・・住職の長男として生まれた。

啄木と言えば・・・
「はたらけど はたらけど 猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」
という歌は誰でも、つい口にしてしまったコトがあるだろう。

教科書にも載る「郷愁の歌人」として知られる啄木だが・・・
本当は「都会派の小説家」を目指していたらしい。

啄木の歌には、確かに故郷を歌ったモノも多いが・・・
それは都会の風景に故郷を重ねたモノで、そこに描かれているモダンな景色こそ・・・
啄木を近代化が進む明治の「新しい歌人」として知らしめたという見方もある。

では、いったい・・・小説家を目指した啄木にとって短歌とは何だったんだろう?

ある分析から簡単に言えば・・・それは「喰えない心のよりどころ」。
片田舎で教師をしたり・・・
小さな新聞社で新聞記者の真似事をしたり・・・
東京の新聞社で校正係として毎晩のように夜勤をするのが、啄木の喰いブチだった。

歌集を発刊して、同士と集うコトはできたが・・・
本人が望む小説では大きく挫折し、ついには貧困の中、病に倒れた。

短歌のほか、詩や評論など幅広い表現活動が注目を集めて・・・
明治の文学史に名をとどめたが・・・それを本人は知らない。

2冊目の歌集が発刊されたのは死後のコト。
さらに、啄木には1人の息子と2人の娘がいたが・・・
息子は生後わずか20日余りで亡くなり・・・
2人目の娘は啄木の死後、誕生しているので啄木との面識はない。

後世に残る優れた芸術家である啄木だが・・・
もしも、国語の教科書ではなく、同じ時代、親しい友人として出会っていたら
私は啄木に相当、意見をしていたと思う。

でも、芸術家だからね・・・ゴッホみたいに。
聞く耳は持たないだろうね。

「喰える人」をプロフェッショナルと呼ぶのなら・・・
本当の芸術家にプロなんかいないんじゃないか、と思う。

プロになったとたん、表現は「魂の叫び」じゃなくて・・・
「周囲の期待を裏切らないための技術」になる。

だけど私は・・・プロが好きだ。
どうせやるなら、より大勢の人に喜ばれるコトをやる方が楽しいから。

啄木の歌に救われた人だって、大勢いるコトだろうけど・・・
一番身近な家族を救えなかったのは・・・やっぱりね。
本人は芸術家でも、家族はそうじゃないだろうから。

夫が、父親が・・・好きなコトだけやって、26歳で死んじゃったら、どうする?
最も本人だって「こんなはずじゃあ」と思っていたに違いないだろう。

啄木の死後・・・ピタリ半世紀後に、この世に生を受けた私としては
「魂の叫び」を表現したいと思っても・・・その前に「喰える術」を考えたい。

「魂の叫び」で「喰おう」と思うから喰えないし、余計に悩む
自分が本当にやりたいコトは・・・自分が稼いだ金でやればいいんだよ。
シュリーマンルーカスのように・・・!

その方が、よっぽとカッコいい・・・と私は思うけど、ね。


参考資料:「風呂で読む 啄木」木股知史=編著 世界思想社=刊