Presented by digitake.com

 

Episode No.496:無名のゴッホたちへ

今からちょうど147年前の今日。
1853年3月30日・・・後に"炎の人"と呼ばれた男が誕生した。

そう、今日はビンセント・ヴァン・ゴッホの誕生日だ。

オランダの牧師の子として育ったゴッホは、やがて画商勤めをしたが・・・。
無断欠勤はするわ、仕事は放棄するわ、上司や客との口論も絶えないほど"使えない男"。

画家を志したのは、画商を首になった30歳頃のコトだ。
33歳で芸術の都、パリに行き・・・印象派や
北斎の作品に出会い大いに影響を受けた。

ゴッホがピストル
自殺をはかったのは1890年・・・37年と4ヶ月の生涯だった。

今では何十億、何百億と値がつく作品を残した男だから、その生涯もドラマチックに語られるけれど・・・。
もし、そうでなければ、ただの狂人。
はたして求め続けた生き甲斐はみつかったのだろうか・・・?

世の中には、ゴッホになろうとして・・・。
狂人にしかなれなかった無名の人たちも数え切れないほどいることだろう。

『眠狂四郎』で知られる作家、柴田錬三郎の持論は「やせ我慢こそ男の美学」だったという。

現実に屈せず、妥協を許さず、武士は食わねど高楊枝をきめこむのは確かにカッコいい。
ただし、それで狂ってしまったのでは・・・美学にはならない、と思う。

芸術家のリアリティは自分の内面にこそあって、ゴッホの自殺の動機など凡人には計り知れないが・・・生き甲斐があれば自殺などしなかったはずだ。

もし現実社会からの逃避から精神に異常をきたしたのでは、結果として現実に負けたコトになる。

かつて会社で求人の面接をやった。
面接を受けたのではなく、面接をした方だ。

私とは親ほども違う歳の男性が、私に履歴書を見せて言った「生き甲斐が見つからなくて・・・」
履歴書には書ききれないほどの職歴が並んでいる。

申し訳ないが、私はその人を採用候補には入れられなかった。
ひとつのコトを懸命にやって腕を磨けない人に生き甲斐など見つかるはずはない・・・と思ったからだ。

田中角栄の言葉にこんなのがある。

「体が丈夫で、好きなことに取り組み、その腕や経験が求められて、
 多少とも金を稼げれば、なお上策である。
 人間の生き甲斐は、自分が世間に必要とされているという実感だ」

自分の描いた作品を高額を出してもほしい考える人が目の前にいたら・・・。
ゴッホは幸せな生涯をおくれたに違いない。


参考資料:「オヤジの知恵」早坂茂三=著 集英社=刊 ほか

[ Back to TopBacknumberご愛読者アンケートBBS 御意見番BBS 保存版 ]