ホントのことをしゃべったために
人がとんだ災難に遭う。
そういうホントは役には立たない。
そういう時にはウソをつけ。
ウソは方便、ところによると宝になる。
お釈迦様のついたウソは方便と言って宝となった。
…というのは、二代 広澤虎造の名調子、
清水次郎長伝の中から、
お馴染み、呑みねぇ食いねぇ、の
「石松と三十石船道中」のひとつ前の話、
「石松の金比羅代参」に登場する大政の台詞。
この間、スポーツクラブでウォーキングマシンに乗りながら、
iPodで聞き直したけれど…やっぱり、面白いな。
実にリズミカルな口調だから、
頭の中にスイスイと入ってきちゃう。
さて…
ホントの話か、それとも作り話なのか。
人から聞いた話には、
そのまま鵜呑みに出来ない話が少なくない。
その人の目や感性…
はたまた価値観を知っていないと、
その話が実際どれだけ正確なのかはわからない。
だから、NHKの話は信じても、
夕刊ゴシップ紙のネタは話半分で笑っておしまい。
そもそも、
その人にウソをつくつもりはなくても…
例えば異国人の存在を知らない古代の人だったら、
異国人を天狗だと真剣に考え、ふれ回ったことだろう。
自分が悩んでいること自体、
はたして悩むべきことなのかどうなのか
本当のところはわからない。
たいてい…
ここは悩んだつもりになって、しばらく休憩した方が楽
…なんてのが常だし、ね。
ウソをつくつもりはなくても、
本当のことを言っていない場合は多々あるよな。
何を信じていいのかわからない
…なんて理由で何もしないというのも、どこかおかしい。
たいていの人は…
自分に都合の悪いものは信じないから、ね。