Episode No.1120(20020328):大人の時代

手塚治虫の漫画に『アラバスター』というのがある。
主人公は、透明人間ならぬ、半透明人間。

江戸川乱歩の『一寸法師』や『陰獣』などのような
 グロテスクで淫靡なロマンを描こうと思った」

・・・という作者の意図通り、
人間の闇の部分を描いた、見るからに気味の悪い異色作だ。

半透明人間の殺人鬼アラバスターのこんなセリフがある。

「美しいという基準はなんだ?
 正直という基準はうるのか?

 花は美しいものだと思うかい。
 美しい地上の部分より
 みにくい根っ子のほうが、ずっと多いだろう?
 美しさなんてこういうもんだ」

最終的には、このアラバスターも・・・
人間の愛の美しさに倒されてしまうんだけれど
ヒロインも死んじゃうし
なんせ、物語の途中では正義の味方のはずの
FBIの男に犯されてしまう場面などもあって・・・
今見ても、よく少年誌に載ったもんだと不思議な感じがする作品だ。

作品の葛藤は作者自身の葛藤でもある。

確か、この作品が描かれた頃、
手塚治虫は虫プロが倒産してしまって
経済的に大変なピンチに見舞われていた。

後のインタビューで
『アラバスター』の原稿を手に・・・
「これは本当に僕が描いたのか?」
・・・と遠くを見つめる手塚治虫を見たことがある。

家庭や学校という温室にいる子供、
あるには会社という組織に守られている時には
現実の重みは知っているようでいて、実は想像でしかわかる術がない。

知らずに済めば、それはそれで幸福かも知れないが・・・
花の美しさだけを見て
そこにみにくい根があることを見ようとしないのでは単純過ぎる。

個人が矢面に立たされる時代は・・・
望むと望まざるとに関わらず
誰もが精神的に大人になることを強要される時代。

花には根があることを知るバランス感覚がなければ
いくら美しく生きようと思っても・・・ただの造花だ。

何もわからない子供の頃には
よく「大人は汚い」とハンを押したように口にしたもの。
確かに汚かったりズルかったりする部分もある。
それが仕方ないとは思わないけれど・・・
正しいだけじゃ勝てないのが世の中の仕組み。

そもそも正しいという基準はなんだ?

正論だけを振りかざして
正面からぶつかっていくだけで開ける門は決して大きくはない。

うまくやろうとする知恵を「悪いこと」と否定するのは
学校の先生に刷り込まれてしまった悪いクセなんじゃないか?!

先生や他人の言うことだけ守っているうちは・・・やっぱり子供だよ。


参考資料:「アラバスター」手塚治虫=著 秋田文庫=刊