はい! 皆さん、またお会いしましたね。
性懲りもなく、再びこのパターンで登場です。
また、淀川さんの口調を思い出して読んでもらえると嬉しいなぁ。
今回も最近、私が観た映画を2本、ご紹介しましょう。
今回もね、2本ともよくよく似た感じのする映画なんですよ。
すでに2本とも映画館ではやってません。DVDを買って観たんです。
映画のタイトルをご紹介しましょ。
『メトロポリス』と『A.I.』です。
■製作の背景
ごらんになった方はもちろん、テレビでコマーシャルを見ただけの方でも、この2本の映画が、よく似ていることには、もうお気づきでしょう。
『メトロポリス』は、あの手塚治虫原作のアニメーション。手塚治虫と言えば『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』をはじめ数々の名作で知られる漫画の神様ですね。
その手塚治虫が、今から半世紀以上前・・・アトムが誕生する以前に書き下ろしたのが、この『メトロポリス』。発表されたのは昭和24年、1949年ですね。
その原作を『アキラ』の作者で、監督もした漫画家の大友克洋が脚本化し、日本アニメ界の重鎮である、りんたろうが監督しました。
『A.I.』はハリウッドの出世頭、スティーブン・スピルバーグの製作・脚本・監督作品。
原案として名を連ねているのは『2001年宇宙の旅』の今は亡き名監督、スタンリー・キューブリック。
キューブリックとスピルバーグは18年来の交友があったらしいのね。キューブリックから、この映画の構想をうち明けられたスピルバーグは大変興味を持った。けれども「俺がプロデュースするから、君が監督をしろ」というキューブリックの言葉にスピルバーグはしぶったのね。おそらく、一人のキューブリック・ファンとして、キューブリックが監督した『A.I.』が観たかったんじゃないかなぁ。
ところが、キューブリックは1999年3月7日。心臓発作で突然亡くなってしまいました。享年70歳。『2001年宇宙の旅』の監督が21世紀直前に亡くなってしまうとは、何たる皮肉。
そこでスピルバーグは『A.I.』を映画にするには自分がやるしかない、と腹をくくって望んだのね。
ただし、原作自体はキューブリックではなく、ブライアン・オールディスという作家が書いた短編小説。不思議なことに原案の話はよく出てくるけど、その原作の話はあまり聞こえて来ないのね。それだけキューブリックが有名だったということもあるけれども、生前、キューブリックがスピルバーグに見せた1,000枚におよぶストーリー・ボードが、この映画の原型になったからでしょうね。
■SFとピノキオ
そんなわけで、この2本の映画は、ちょうど同じ頃、完成しました。
何がよく似ているかといえば、2本とも未来を描いたSF作品であり、しかも主人公は子供のロボット。さらに、その子供のロボットは人間になりたいのね。
人間のエゴイズムによって誕生させられたロボットが苦しむ姿を通して、人間として考えさせられたり、反省したりする、そういうドラマ。
かつて手塚治虫は「『鉄腕アトム』は人種差別問題のパロディである」と言ってましたけれども、人間とロボット、アンドロイド、サイボーグを扱った物語には、たいていそういう側面があるのね。
現実問題に置き換えると、奴隷制度や戦争、これはみんな人間のエゴイズムによる差別が根本にはあるでしょ。
スピルバーグの作品には『E.T』や『未知との遭遇』といった大ヒットSF作品のほかにも、奴隷問題を扱った『カラーパープル』や、ナチス問題を扱ってアカデミー賞をもらった『シンドラーのリスト』といった作品もありますね。
スピルバークのSF、と聞くとどうしても『E.T』や『未知との遭遇』といった夢のあふれる内容を期待してしまう観客が多くて・・・その結果『A.I.』には「期待はずれ」という評価も少なくない。
どちらかと言えば『A.I.』は『カラーパープル』や『シンドラーのリスト』寄りの作品と思って観た方がいいかも知れんなぁ。
映画の宣伝で、さかんに「スピルバーグが贈る愛と感動のSF大作」なんて言うから、みんな『E.T』を期待しちゃう。その宣伝文句は決して嘘ではないんだけれども、正直だとも言えない。怖い話だからね。
いずれにしてもスピルバーグくらいになれば、食うには困ってないだろうから、撮りたいものを撮るという姿勢が貫けるんでしょう。
ただし、配給会社や宣伝マンは、そういうわけにもいかんだろうけど。
ロボット以前にも差別やエゴをテーマにした有名な物語があります。『ピノキオ』ですね。
『A.I.』の中でもドラマのポイントとして引用されているピノキオの物語、これは『鉄腕アトム』でも、石森章太郎の『人造人間キカイダー』の中にも引用されてる話。
考えてみると、ものすごく悲しい話。人間のエゴイズムによって誕生させられて、差別されて、差別されて、絶対に叶わない夢をみる。
ピノキオはおとぎ話だから、最後は人間になるというパッピーエンド。ひと頃、おとぎ話は本当は怖い話だという内容の本が話題になりましたけど、確かに本当は怖い話ですね。
『A.I.』の中でも「愛が持てるなら、憎しみだって持ちかねない」というセリフがありましたけれども、漫画版『人造人間キカイダー』のラストでも主人公ジローは、愛と同時に憎しみの心も持ってしまうのね。
さらに憎しみとは無縁の存在に思える『鉄腕アトム』は、実にいい子で悪者のロボットを一生懸命、一生懸命「それは悪いことだ」と説得する。でも最後になると「わからずやめ!」と怒鳴ってブッ壊してしまうのね。まるでキレた、という感じでね。
『鉄腕アトム』は、子供たちのヒーローには違いないんですけれども、そのイメージが確立されてしまったのはテレビのせいで、本当は怖い、しかも悲しい話。原作を読見返すと、思いのほかハッピーエンドがないのに驚かされますね。
■『A.I.』の真の原作は・・・?
『A.I.』のストーリーについて初めて耳にした時「それってアトムじゃない?!」と思いましたが、実際に観てみると、ますますそんな感じがしたなぁ。
主人公の少年型ロボット。これが造られる設定が、まず似ている。子供を亡くしたロボット会社の社長はアトムを造った天馬博士ですね。
ジャンク・フェアと呼ばれるロボット破壊ショーは、まるで場末の残酷なサーカスといった感じで描かれていますが、『鉄腕アトム』でもアトムがお茶の水博士と出逢うとは、売られた先のサーカス。ジャンク・フェアでも主人公の少年ロボットを見つけて「こいつはただ者ではない」と言うイベントのスタッフがいましたね。
きわめつけはラストですね。
まだ映画をごらんになっていない人にラストをお話するのは気が引けますが、差し支えのない程度にお話しましょう。
『A.I.』では、2000年後、もう人類はみな死に絶えた遠い未来にお話が飛んで、宇宙人みたいな得体の知れない生命体に主人公のロボットは救われます。
ところで皆さんは『鉄腕アトム』の最終回をご存知ですか? テレビアニメのアトムは人類を救うために核融合阻止装置を抱えて太陽に飛び込んでしまいます。
でも、それは本当の最終回ではなかったんですねぇ。テレビアニメ用に作られたお話。
テレビが終わって「その後、アトムはどうなったんだ?」という手紙が数え切れないほど作者の手塚治虫の元に送られてきました。
そこで手塚治虫は、その後のアトムの物語を新聞に連載しはじめることになりますね。単行本では『アトム今昔物語』としてまとめられていますが、この話の冒頭は鉄グズとなって宇宙を漂っていたアトムを宇宙人が救うところからはじまるんです。結局、再生されたアトムが地球に戻ってみると、そこはアトムが生まれた未来の地球ではなく、昭和の地球・・・ということになって、新しい冒険がはじまるわけですけれども。
そんなわけで『鉄腕アトム』と『A.I.』は、少なくとも『ジャングル大帝』と『ライオンキング』以上に似ているんですね。
ここで、ちょっと意地悪かも知れないお話をしましょう。
実はこのdigitake.comの第1回でもご紹介している話ですが、キューブリックと手塚治虫には接点があったんですね。
アメリカに輸出された『鉄腕アトム』をキューブリックが見て、次回作の美術監督を手塚治虫に依頼したというエピソード。その頃、手塚治虫は虫プロが一番忙しい時で、とても何百人のスタッフを日本に置き去りにしてハリウッドに乗り込むことはできなかったので、この話を断ってしまいましたが・・・このキューブリックの次回作こそ『2001年宇宙の旅』でした。
こんなエピソードを聞くと、『A.I.』の原作は別にあったとしても、ストーリー・ボードを描くキューブリックの頭の隅に『鉄腕アトム』があったとしても・・・不思議はありませんねぇ。
それにしても『A.I.』はキューブリックの怖さが出ている作品。スピルバーグの夢あふれるSF物語を期待して観に行った子供の中には泣き出した子も少なくないんじゃないかな。うちの子も思わず布団に潜り込んでしまいましたね。
とくに先程も話に出たジャンク・フェアのシーン。
人間そっくりのロボットたちが溶かされて顔面が崩れていく毒々しさと、それを包み込む異様な雰囲気。
どこかで観たことのある雰囲気だと思ったら・・・キューブリックというより、むしろ寺山修司ですね。制作予算やスケールはともかく、寺山修司が『鉄腕アトム』を実写映画化したら・・・こんな感じの作品になったかも知れませんね。
私は決して嫌いではありませんけど・・・できれば元気のある時に観たいもんですね。
■手塚治虫からのメッセージ
さあ、今度は『メトロポリス』のお話もしましょう。
『メトロポリス』の描く未来は少しレトロ調で、何だか懐かしい未来という感じですね。
ゴールド、ゴールド、ゴールド。どこを見渡しても一面、黄金色の世界。まさに輝かしい未来・・・ですけど、ちょっと成金趣味やね。
手塚治虫の原作の味をできる限り活かした雰囲気が、また懐かしさを感じさせてくれますが、CGで描かれた背景は何となく平面的で重さを感じない。空気が存在しない空間のような気がしてしまうのは私だけかな? 遠くのものも近くのものもピシッとピントが合ってしまっているので、何となく紙に描かれた感じやね。最もそれが狙いなのかもわからんけど。
あと、背景と同時に記憶に残ったのが・・・ハトですね。
よくハトが出てきますね。真っ白なハトの群れが、やたらと飛び回っていますね。
白いハトは平和の象徴・・・でも、考えてみると、今私たちのまわりに白いハトは、あまり見かけませんね。
大きな公園に行くと、たくさんのハトはいますが、手品に登場するような真っ白なハトじゃなくて、みんな灰色してます。
ビルに囲まれた都会の中で真っ白なハトは敵に狙われやすいのね。だから淘汰されて、灰色ばっかりになっちゃったのね。
そんなことを思い返すと『メトロポリス』を飛び回るあのハトたちは・・・果たして天然なのか、ひょっとしたらロボットなんじゃないか、なんて考えてしまいますね。考えすぎかも知れんけど。
美しい『メトロポリス』も少し地下にもぐるといっぺんに薄汚れてますね。
薄汚れて無国籍な雰囲気は『ブレードランナー』の街並みのような・・・香港の裏通りみたいなね。
このお話はタイトル名が街なだけに、たいへんよく街の情景が描かれています。
普通のアニメーションは人物ばっかり追っているものが多いですが、キチンと街を描くロングショットが多様されているので、非常に映画的な感じがして惹きつけられますね。
映画は本来、映画館で観るものですから、引きの絵がわりと多いのね。ロングで撮っても画面が大きいから人物もよくわかる。ところがテレビは画面が小さいから、アップ、アップ、アップの連続になりがち。
惜しいことに亡くなってしまいましたが、相米慎二監督という人がいましたね。薬師丸ひろ子主演の『跳んだカップル』というアイドル映画でデビューした監督ですが、マニアックな映画ファンも多かった。アイドル映画を実験映画にしてしまうのね。むしろ、アイドル映画はコケないから実験できたんでしょうけど。そういう意味では怪獣映画も・・・『ウルトラマン』なんて、そうとう実験的なカメラアングルがありますね。
相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』などは、映画的な引きの絵が多様されてましたから、テレビで放映した時には小さくて人物がよくわからないシーンもありましたね。
話を『メトロポリス』に戻しましょう。
クライマックスは『A.I.』に負けじと、おどろおどろしい感じもあるなぁ。機械が暴走して、まるでカビが高速で繁殖していくように街を覆っていく。
今は俳優というよりNHKの『プロジェクトX』のナレーターとして一般的には知られている田口トモロヲ主演の映画に『鉄男』というのがありましたが、ちょうどそんな感じですね。
最も脚本が大友克洋ですから『アキラ』のクライマックスに近い、おどろおどろしい感じとも言えますが、あの金属的な感じは、やっぱり『鉄男』ですね。
『鉄男』はモノクロの実写映画ですが、そういうのが好きな人は、ぜひごらんなさいよ。
映画版『メトロポリス』の主人公は、可愛らしい少女のロボットですね。黒い涙が悲しいかったなぁ。
でも、原作は男の子なんですよ。正確にはロボットですから性別はありません。でも、どっちかと言えば男の子。そんなところを見ても原作版『メトロポリス』の主人公が手塚治虫の中で発展していってアトムになったと言っても過言ではないでしょう。
『鉄腕アトム』の連載がはじまったのは『メトロポリス』が書かれた3年後ですね。
今回の映画版『メトロポリス』にも漫画版『メトロポリス』ではなく『鉄腕アトム』のエピソードを原作として取り入れた部分は随所に見られます。登場人物の名前や姿を借りてきたものも多いですけれど、その人物たちのバックボーンには、すべて『鉄腕アトム』のエピソードが隠されていますね。
これは手塚フリークである脚本を担当した大友克洋の工夫なのか、りんたろう監督のアイデアなのかわかりませんが、この映画のストーリーは原作を『メトロポリス』+『鉄腕アトム』としてもいいくらい。
例えば、私立探偵ヒゲおやじの補佐をするロボット刑事ペロは『鉄腕アトム』の『ホット・ドック兵団』という話に登場します。
『ホット・ドック兵団』・・・これも悲しい、悲しい、しかも怖い物語で、ヒゲおやじの飼ってた犬が誘拐されて、優秀な犬の脳を持つアンドロイド兵士に改造されてしまうという話。
ところで、手塚漫画の常連、ヒゲおやじは何歳という設定だがご存知ですか?
漫画の中では、何と42歳なんですね。『ホット・ドック兵団』の中で「おじいさん」と言われて、そう言い返す場面があります。
ただし、映画『メトロポリス』では漫画と違い、トレードマークのヒゲが白ではなく茶色ですから・・・もう少し若い、30代かも知れませんね。
そんなわけで、手塚治虫にすれば『メトロポリス』の原作を描いた時点では描ききれなかったテーマやエピソードを『鉄腕アトム』の連載の中に織り交ぜたケースもあるでしょうから、それから半世紀後に完成した『メトロポリス』に手塚治虫が追い続けていたテーマが溶かし込まれたことは喜ばしいことでしょう。
手塚治虫くらいたくさんの作品を世に送り出した作家でも、生涯を通じて追い求めたテーマというのは決して多くはありません。
同じテーマを何回も何回も、時にはロボットを主人公に、また時にはライオンを主人公に・・・さらに王女様や医者を主人公に描いているんですね。
それをワン・パターンと見るのは間違いです。
伝えたいことを伝えたい人に伝えやすいカタチで伝えていく・・・これこそが作家の使命。同じことを違うカタチで伝える方が、いつも違うことを言っているより、ずっと工夫が必要。その工夫を支えているのがプロの技ですね。
新しいことに挑戦するというのは、新しい技術に挑戦するということで自分の主張を変えることではありませんね。同じ技術でその都度違う主張を見せられていたら、ファンは戸惑います。
そんなわけで子供が手をたたいて喜んで観た『E.T』を創ったスピルバーグが、子供が泣き出してしまうような見るからに怖い『A.I.』を創ったので困惑したファンは多かったように思いますが・・・先程お話したようにスピルバーグの主張自体は変わっていないんですよ。安心なさいね。
■SFの魅力、SFの警告
SFは現実に見ることのできない景色を見せてくれる。タイムマシンをのぞく楽しみがありますね。まさに映画ならではの世界。
そんなわけで前回も今回のSF作品ばかりご紹介してしまいました。
今回『メトロポリス』と『A.I.』を観て、2本ともとても怖かったという話を長々してきましたが、何が一番怖いといえば・・・やっぱり人間ですね。
機械が人間に近づく未来・・・それと同時に人間が機械に近づいていることをこの2本の映画は警告してますね。
『メトロポリス』のクライマックス寸前に、怖いセリフがありましたね。
少女ロボットを造らせたレッド侯が吐くセリフです。
「おまえは人間などではない。
感情や情緒に流され、愛や道徳に迷うカタワな生物ではない」
怖いねぇ、本当に怖い。・・・でも、そうかも知れんと思うのは私だけではないでしょう。
迷うこと。人間、誰しも迷いますねぇ。私も毎日毎日、ああでもない、こうでもない、迷ってばかりいますね。
迷うことがなければ、どんなにいいでしょう。どんなに幸せでしょう。
でも、迷う気持ちがなかったら・・・きっと人間は何も大切にしませんね。愛も命も、迷うことがなければ、どうでもいいことになってしまうんのではないでしょうか?
実はこの原稿。出張の行き帰り、新幹線の中でノートパソコンを開いて打っているんですよ。
時速300kmで移動する乗り物の中で、デジタル・クロックに追われた人間がコンピュータに向かっている。まさにSFですね。
それに、今回観た2本の映画の中で、とても皮肉に思えたのは・・・破壊された街並み。
『A.I.』の中に登場する海中に沈んだマンハッタン。水面から顔を覗かせているのは、本当はもうない・・・貿易センタービルですね。
『メトロポリス』のエンディング。破壊された街並みを見て、テロ直後のニューヨークを連想してしまったのは、私だけではないでしょう。
これは、本当にSF・・・未来のお話なんでしょうか?
来年は、もう2003年。
2003年と言えばね。漫画の中でアトムが誕生したと設定されている年ですよ。
ハイ、時間となりました。
今回も長いことお読みくださって、ありがとうございます。お疲れになったでしょう?
400字詰めの原稿用紙に換算したら、24枚分になってしまいました。そう聞いたら、ドッと疲れてきたでしょう?
私は言いたいことがたくさん言えたので疲れませんでしたよ。ごめんなさいね。
それでは、またお逢いしましょう。サヨナラ、サヨナラ.・・・サヨナラ。
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