Episode No.612(20000812):本当に「自由」がほしい? 自由ほど不自由なモノはない・・・自由業の方なら、とくに感じるコトだろう。 大学4年の頃・・・まわりの友達は、だいたい単位をとり終わっちゃって・・・ 就職活動までの間、急にヒマになって時間を持てあましているヤツが多かった。 その頃、私はといえば・・・自主映画製作に熱中していて、時間はいくらあっても足りない。 「おまえ、どうしてそんなに忙しいの?」と聞かれて 「どうして、そんなにヒマなの?」って、よく聞き返したモンだ。 今の学校で一番教えていないのは・・・自分で自分の時間割をどう作るかってコしゃないかと思う。 そんなの他人から教わるコトじゃないかも知れないけれど・・・ やっぱり「言うコトを聞く国民」を作る教育のなごりなのかなぁ?! 時代が変わった・・・って言っても、いきなり今までやってたコトを180度変えるワケにもいかないし・・・ 少しずつでも変えていかなきゃならないコトでも・・・ 当事者たちは自分の仕事を増やしたくないモンだから、つねに問題は先送り・・・ で、2000年問題や公共事業の見直し問題が起こる・・・パターンだよ、ね。 さて「隣の庭は・・・」って感じで、ついついないモノねだりをしてしまうのは私も同じだけど。 大学時代の友人たちの例のように・・・ 自分を縛っているモノから解き放たれた時に、いったいどうしていいのかわからなくなるという場合も多い。 それに、一般に言われる「自由」だ「不自由」だなんてコトは・・・ 何かに比べてそう言っているだけのコトじゃないかな? 窮屈な規制に縛られている時には「隣の庭は」を見て・・・ それから解放されたいというコトばかり考えがちだが・・・ほかにも気をつけなければならないコトはある。 今までできなかったコトを「許可」されるのは嬉しいけれど・・・ 「許可」された内容は、やってもやらなくてもいいコトではなく・・・ やがてまた新しい「義務」にるというコト。 1875年、明治政府は四民平等政策のもと、平民にも名字を名のるコトを許した。 平民の名字は・・・ それまでも実際に商人には屋号があったし、農民も墓には先祖伝来の名字を刻む者が少なくなかった。 最初は「名字を許す」という御触書も、すぐに「名字をつけるコト」という義務に変わった。 何の名字を持たない人たは、あわてて近所の坊さんなどに付けてもらったという。 結局、明治政府としては名字で世帯を分類して国民を管理したかっただけなんだろうけどね。 新しい暮らしの道具が普及していく時には・・・ 例えば冷蔵庫などは、普及率が50%を越えると100%に近づくまではアッという間。 もちろん、道具などは普及が進めば安くなるから、手に入りやすくなるというコトもあるけれど・・・ 持ってないと肩身が狭い・・・という心理はきっとあるだろう。 冷蔵庫にテレビにエアコン、自家用車・・・そしてパソコン。 何でも自由に手に入る時代は、何でも持っていないと不便を感じてしまう厄介な時代。 自分のできること、やりたいことをシッカリ見つめて、それに合わせた時間割を作れないと・・・ 放っておいたら、だんだんできなくなる言い訳が増えるだけだ。 締めはデールの方のカーネギーの言葉で・・・ 「人の言うことなど気にしないで、 人があっと言うようなことを成し遂げようと、全力を尽くすことだ」 自分が言っている「自由」の意味・・・考えてみる必要はありそうだ。
参考資料:「日本史249の雑学」太田 公=著 三笠書房=刊 ほか
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