Episode No.112(990105):規則は「できない人」のためにある
年末から続いていたウチのかたづけが、ようやくひと区切りついた。
正確に言えば「時間切れ」というコトで、本当のところ一向にラチがあかない。
とにかく、本とビデオの数が多すぎる。実際に普段使っているモノなど、この中には、ほとんどないのに「いつか使うかもしれない」と思いつつ捨てられない。しかも、どんどん増えていく。
ようやく物置の奥の方に手が届いたら、昔読んだ本が、またドバッと出てきた。
そのうちの一冊のページをついめくってしまう。
タイトルは『ヤクザは人間をどう育てているのか』。
一度読んだ本だから斜め読みしていくと、次第に内容が蘇ってくる。
この本は昭和60年に書かれているので、今から14年前のモノだが、タイトルを『21世紀に向けて企業は、人間をどう育てていけばいいのか』と差し替えても通じそうだ。
ヤクザというのは非合法なコトをして金を稼ぎ、組織を運営しているには違いないが、そもそも法律や社会の常識は時代とともに変わるもの。そういう意味では、もともと人間的に人を動かしているとも言える。
それこそ清水次郎長の時代やそれ以前には、今ほど細かな法律があるわけでもないし、その土地、土地の争いごとや祭ごとの世話役こそがヤクザの仕事だった。
なまじ規則などあると、規則になければ何をしてもいいという輩が出てくる。そこまで悪どいヤツがいないまでも、規則以外のコトはしなくてもいいと思う人間は増えることだろう。
学校や会社といった組織における規則も同じこと。「ここまでやっておけば、とりあえず責められることはない」というルールの中で、かえって人間が小さくなってしまう危険性は高い。
そもそもマニュアル文化は、教育の程度もまちまちで人種がバラバラなアメリカ社会の中で、最低限の仕事をクリアさせるために生まれたもの。
自分がもっと伸びようと思ったら、規則の中にいただけでは絶対にダメだ。
そういうワケで、自分の中に独自のルールを作っていかなければならないことは再認識できたが、まずとっかかりは、本やビデオをどこまでとっておくか・・・というルールづくりが必要だな。 |