Episode No.603(20000802):この人の笑顔がみたい 不思議の国のアリス、ピーターラビット、アイアン・ジャイアント・・・そして、くまのプーさん。 これらの世界中の子供たち・・・だけでなく、大人の心にも染み入る物語には共通点がある。 もちろん、これだけじゃないかも知れないけれど・・・ これらの物語は、もともとある特定の相手に聞かせる目的で作られたモノだ。 アリスやピーターラビット、アイアン・ジャイアントについては前に書いた。 今日は、くまのプーさんがどうしてできたか・・・という話をしよう。 くまのプーさんの作者は、ディズニー・・・じゃなくてA・A・ミルンというイギリスの劇作家。 活躍をはじめたのは、第一次大戦後の頃だ。 彼には、ひとり息子がいた。 息子の名前は・・・クリストファー・ロビン。 プーさんの物語に唯一登場する少年・・・その、まんまだ。 息子がスクスクと育っていくのを見たミルンは・・・ 幼い子供が毎日「生まれて初めて」の経験にぶつかって、さまざまなリアクションをするコトに刺激を受けた。 そして、ロビンが3歳になる頃に・・・ 「クリストファー・ロビンのうた」と「クマのプーさんとぼく」。 という2冊の童話詩集を書いた。 プーさんは、ロビンがいつも遊んでいたテディベアの名前。 おそらく、ようやく喋りはじめたロビンが発音しやすかった名前なのだろう。 自分が幼い頃の姿、そしてその時遊んだぬいぐるみの思い出を父親が書き残した・・・というワケ。 息子が成長していくと同時に、プーさんの世界の広がっていく。 そして、お馴染みのぬいぐるみたちが大勢住んでいる100エーカーの「魔法の森」ができあがった。 クリストファー・ロビンのシリーズで、すっかり児童文学作家としての地位を確立したミルンは・・・ 1956年に72歳で亡くなった。 1961年、娘たちがファンだったプーさんに注目したのが、ウォルト・ディズニーだ。 「101匹わんちゃん」が公開されたその年にプーさん映画化の権利を取得したディズニーは、当初、プーさんも長編アニメにしようと考えていた。 ところが、まだ原作の知名度がそれほどでもなかったので、まずは短編アニメ・シリーズとして制作し、少しずつ知名度を上げる策をとった。 初の本格的な映画化となる「プーさんとはちみつ」が公開されたのは、1966年。 ディズニーの作戦は、みごとに当たって映画は大好評を得る・・・が、惜しくもこの年の12月にディズニーは急逝してしまった。 しかし、娘たちには充分、顔が立ったことだろう。 本田宗一郎が買い出しに行く妻の自転車にエンジンを付けたのも同じだけど・・・。 身近な人を楽しませるコトさえできないモノは・・・世の中で認められるコトもないだろう、ね。
参考資料:「フィギュア王 No.35 特集2:くまのプーさんがい〜っぱい」ワールドフォトプレス=刊
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