Episode No.580(20000706):あなたには、どんな血が流れてる? 最近、よくオフクロに「おじいちゃんに似てきた」って言われるんだよね。 40代までには、まだ多少の猶予はあるものの・・・。 この歳になると、やっぱり自分で作ってきた部分は少なからずあるだろうと思うけど。 オフクロの言う、おじいちゃんは、当然オフクロの父親のコト。 私が中学3年の頃に亡くなったおじいちゃんは元大工。 酒飲みで、死に見ずならぬ、死に酒をとったという。 私は、そんなに飲まないけど、ね。 私の家系は・・・ざっと見渡したところ、父方には役人が多いが、母方には職人が多い。 最もうちのオヤジは役人を嫌い、自分で商売をはじめた人だけど・・・。 それでも客観的に見ると、概して「職人」の方が、度胸はいいな。 当然のコトだけど・・・。 今、こうして自分が生きているところまで来るには、ものすごい数の祖先がいる。 自分の祖先について考えるのなんて、せいぜいお盆の頃くらいだけど・・・。 ひょっとして、今の自分にそっくりな気性をもった祖先のひとりや2人いても不思議はないだろう。 さて、時は明治維新の頃。 知多半島の田舎村に、先祖代々造り酒屋酒屋を営む家があった。 当主の名は、十一代目久左エ門。 この久左エ門という男・・・たいそうな「新しモノ好き」だった。 文明開化の影響をうけて、この造り酒屋の当主がはじめたのは・・・なんとワイン造り。 明治政府の奨励で輸入されたぶどうの苗を新たに購入した土地に植え・・・。 ぶどう搾り器まで設置した本格的なワイン醸造所まで建てた。 製造方法については、海外に見聞のある人に尋ねるのが早道だ。 そう考えた久左エ門は、東京にある男を訪ねる。 訪ねた先は・・・なんと、かの福沢諭吉。 これをきっかけに、久左エ門と諭吉の交流は続き、両家には2人の手紙がたくさん残されている。 さらに諭吉の日記には「今日は久左エ門のワインを飲んだ」という記述まであるという。 だが、久左エ門のワイン醸造所は志半ばで、その幕を閉じるコトになってしまった。 当時、フランスのぶどう園を絶滅させたアブラムシの一種が、久左エ門のところでも発見されたのだ。 と、いうわけでフランスのぶどう園で今ワインの原料になっているぶどうの木は、元はカリフォルニア産のもの・・・フランス革命当時のワインなんてのは、100年以上も前に、もう飲むコトができくなっている。 「あの時、ヘンな虫が出てこなけりゃ、うちは今頃サントリーになっていたかも知れない」 ・・・と笑うのは、本来であれば十五代目久左エ門を襲名すべきだった男。 しかし、男は家業を継がなかった。 結局、継いだのは弟で・・・彼は東京に出て、戦後の焼け跡からベンチャービジネスをはじめてしまった。 幾度もさまざまな虫に脅かされたその会社は、やがて「ソニー」という名で世界に知られるようになった。 久左エ門の孫の孫・・・その名を盛田昭夫という。 家系がすべてを物語るなんて到底思えないけれど、やっぱり血筋は争えない・・・ってのも事実。 もしも変えたい血筋があるなら・・・自分の代から変えてみるしかない。 でも、どんな気性も出す場面によって・・・良くも悪くもなるからね。 すでにある血筋をうまいコト利用して、何かに活かした方が、手っ取り早いかも、ね。
参考資料:「井深 大・盛田昭夫/日本人への遺産」(財)幼児開発協会=編 KKロングセラーズ=刊
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