Episode No.379(991112):成功者の発想 サントリーの佐治敬三会長が亡くなったのは、今月3日・・・文化の日のことだった。 サントリーの前身、寿屋を創業した故鳥井信治郎の次男として大阪市に生まれ、母方の親せきの養子となる。 終戦を機に寿屋に入社後、1961年に社長、1990年に会長に就任。 ・・・そして、80歳でこの世を去った。 佐治敬三の手腕が世間で注目されるようになったのは「トリスを飲んでハワイへ行こう」をはじめとする派手な広告宣伝が話題を呼んだのがきっかけだった。 あわせて同社宣伝部から開高健、山口瞳らの作家が輩出したことでも注目を浴びた。 その後もウイスキーをソーダで割って飲む「ハイボール」や店に「ボトルキープ」という習慣を定着させたことは、サントリーだけでなく洋酒業界全体に対して大きく貢献した。 大がかりな広告宣伝によって飛ぶように売れるようになったモノは多い。 古くは、"味の素"もそうだった。 1908年に池田菊苗が開発したグルタミン酸ソーダの特許を取得し"味の素"と命名して販売をはじめたのは、元はイギリス商社で自転車などの販売をしていた鈴木三郎助。 鈴木三郎助は、広告の鬼と呼ばれた電通の吉田秀雄をして「我々専門家でさえ思いもつかない斬新な(鈴木さんの)考えは、広告宣伝の天才的な先駆者と呼ぶにふさわしい」と言わしめたほどの男だ。 販路拡大のための宣伝隊を組織し、自ら全国行脚したのをはじめ、新聞社と組んで事務所の前に相撲の勝敗表を貼り出したり、芝居の小道具に"味の素"を使わせたり、主婦予備軍である女学生たちに試供品を積極的に配布したり・・・。 鈴木三郎助いわく 「私は広告に2つの信念を持っている。あまり金をかけずに効果を上げる方法を考えること。それと、もう1つは、この考えとはいささか矛盾するようだが、金をかけてもよいから、あんまり人のやらない広告をするということだ」 サントリーの佐治敬三の場合も、ほぼこれと似たような発想で広告宣伝を展開したように思える。 どっちにしても広告宣伝をやる金がある会社はいいな・・・とイジケてしまってはいけない。 まず最初に必要なのは金ではなく、アイデア。 仮に金だけあっても、それをつかうアイデアがなければ、いくら広告をうったところで相当の資本力がなければ埋没してしまうのがオチ。 逆を言えば、これだけ金をかけるんだから決して失敗はできない・・・という真剣さが成功に結びついたとも考えられる。 金がない・・・ということは、アイデアがないというコトに比べれば、それほど大きな問題ではない。 ことに3度3度ちゃんとメシが食べられてるクセに、金がないから・・・なんてしょげていては、何もはじめることはできないでしょ?!
参考資料:asahi.com 日本経済新聞
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