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Episode No.576(20000701):疑いが・・・不幸のはじまり

「幸福」と「不幸」・・・どっちがいいと聞かれたら、100%の人が「幸福」と答えるに違いない。

そこで何となくイメージする「幸福」とか「不幸」って・・・。
ジッとしている自分の元へ近づいてくる「何か」のような感じがするけれど・・・。
決して、そうじゃないんだよなぁ、きっと。

同じ出来事があっても「幸福」と感じる人間もいれば「不幸」だと思う人もいる。
結局「幸福」とか「不幸」を決めているのは自分自身。
10円拾った! と大喜びするか・・10円ぽっち拾っても意味がない・・と、つまらなそうな顔をするか。

では、より多くの「
幸福」を感じるためには、いったいどうしたらいいのだろう?

結論からいえば「
信じる」コトだと私は思う。
私は特別な宗教に入っているというワケではないけれど・・・いわば「自分教」。

信じなければならない対象は、たくさんある。

まず「
自分」・・・実はコレが一番難しい。
信じられる自分を鍛え上げ、それを保つのは至難の業。
しかし、それがないと・・・本当の他人との
信頼関係も生まれては来ないような気がする。

そして「
家族」や「友人・知人」・・・「お客さん」。
人というのは敏感なモノで、こちらが信用していないと、相手も自分に心を許してはくれない。

信用していた相手に裏切られるというのは悲しいコトだけど・・・。
それは、結果的に「その程度」の付き合いだった・・・ってコトだと思う。

「信頼関係」と「一方的な思いこみ」を客観的に判断するのも、また難しいコトだけど・・・。
やっぱり自分の鍛え方次第、なのかな。

お客さんに何かを勧める場合にも・・・。
本当のコトを言えば、そのお客さんが自分の勧める意見をとりいれてくれても、実際のところは、やってみないとどうなるか・・・未来のコトはわからない。

それでも、その見えない未来を信じさせるのは・・・。
時には膨大な資料が必要かも知れないけれど、基本的にはその資料を集めた自分への信頼。
資料は自分の
やる気を目に見えるカタチにしただけのモノだ。
結局、どんなに詳しい資料にも明確な未来は一行も書いてないから、ね。

疑いはじめたらキリがない。
時には危険回避のために疑いを持てる目は必要に違いないが・・・。
疑ってかかるコトには、どうしても気が入らない。

さぁ、
20世紀も残すところ、あと半年。
あなたは何を信じて、今世紀をしめくくる?

あ! 「未来を信じて」は、なしヨ。
未来は今から続いてるんだから・・・一秒先も未来。


参考資料:自分への警告

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