Episode No.538(20000518):突破口をさがせ!
学者の中には、ひとりでいくつもの博士号をとる人が珍しくない・・・。
と、いう話を以前にも書いたけど・・・。
今日5月18日が誕生日であるバートランド・ラッセルも、そんな学者のひとり。
生まれたのは1872年、ちなみに亡くなったのは1970年。
イギリスの名門に生まれたラッセルは、学者・・・というより一般には平和主義者として知られている。
母校ケンブリッジ大学の講師をしていた第一次大戦中に戦争反対を唱えて職を解かれた。
第二次大戦後には、90歳を越えた老翁でありながら、アインシュタインらと共に原爆反対運動の先頭に立った。
数学者としても有名だったが、1950年に受賞したノーベル賞は・・・文学賞だった。
自らの内なる声に応えて、徹底的に生きた人こそ偉人と呼ぶにふさわしいと思うが・・・。
ラッセルの声に人々が耳をかしたのは・・・まず、ラッセルが要職にいたからだとも思う。
もちろん、訴える話の中味に正当性があったからこそ、運動が広がったのだろうけれど・・・。
どこの馬の骨ともわからない者が、いかに自己主張をしたところで、うるさがられるのが関の山だ。
ラッセルが平和を訴えるために学者になったとは思えない。
ただし、自分が追求しているモノに真面目に取り組んできた結果そうなったのは確かだろう。
一芸に秀でる・・・という言葉がある。
一芸に秀でたからと言って、すぐにCDを出したり映画監督をしても、すべてが上手くいくとは限らないが、一芸に秀でないと次のチャンスはなかなかつかめるモノではないし、何かのプロとして食べていこうと思ったら、まず一芸に秀でるコトが必須条件だと思う。
先日、ある人とメールのやりとりをした。
その人は一芸に秀でるために日々頑張っている。
私などが言うのも大変おこがましい話だが・・・この人は実に"わかっている"人だと思った。
ある世界のプロを目指しているものの、こう言っては何だけど・・・今はしがない浪人の身。
だのに何が"わかっている"と思ったかと言えば・・・今の自分がいる位置をよく知っている。
将来の夢なんて誰しも漠然としたモノに違いないが・・・。
漠然としたモノではあっても、ある程度の全体像をつかんでいないと進む方向は見えてこない。
その全体像の中で、今自分はどのくらいの位置にいるのか・・・。
それが見えないと、いたずらに不安におちいってみたり、努力をおこたってしまったりするんじゃないだろうか?
自分のコトは、わかるようでいて一番よくわからないモノ。
でも、わからないままでは、ただの身の程知らずというコトになってしまう。
身の程知らずの言うコトは・・・誰も真剣に取り合ってはくれない。
今は漠然とした夢も・・・先へ進んで行きさえすれば、ある日カスミが晴れたようにハッキリと見えてくるモノだと思う。
問題は、その長い道筋の中でシッカリ自分をナビゲートしていくコトだろう。
もうひとつ関心したのは、その人が今自分がやっているコトに対して期限を決めてかかっているというコト。
いつかは・・・なんて言ってる人に、いつかなんて来ない。
いつか何かの拍子にカスミが晴れて見渡してみたら・・・行き先はとてつもなく遠くて人生は時間切れ、あきらめるしか手はないなんてコトにもなりかねない。
まず何をしなければならないのか・・・
次に進む方向がわからないと理想の未来は次第に遠ざかっていく。