Episode No.294(990805):父と息子はお気に入りのタイプも同じ? 親子三代で同じ名を付けている・・・というのは西洋人では、そう珍しくもない話。 区別するために後に「Jr」を付けて呼んだりして・・・ね。 喜劇王、チャーリー・チャップリンの父親の名もチャーリー。 そして確か11人いる子供のうち、一番上の息子の名前がチャーリーだった。 ちなみに、二人目の息子には、腹違いの兄と同じシドニーという名を付けている。 そういえば、ウォルト・ディズニーには娘しかいなかったが、初孫が誕生した時に、自分の名前を付けてくれなかったのに、ひどくガッカリしてた・・・という話を読んだことがある。 結局、次の孫にはウォルトという名が付いたようだが・・・。 話は、喜劇王チャップリンの息子のチャーリーが、兵役を終えて家に戻ってきた21歳頃のこと。 その頃、チャップリンは、もう充分な名声を手にしていた。 「独裁者」の後に、初めて放浪者のスタイルを捨てて取り組んだ「殺人狂時代」は、あまりかんばしい興行成績を収めることはできなかったものの、最愛の妻、ウーナと最後の結婚もしていた。 息子のチャーリーは、俳優を目指して勉強中。 同じようにスターを目指す俳優の卵たちを家に呼んでは騒いでいた。 気さくなチャップリンは、時折、息子の友人たちと談笑していたという。 友人たちから見れば、それは大スターのチャップリン。 さぞかし緊張もしたことだろう。 だが、そんな中に一人だけ、チャップリンを目の前にしても決して物怖じしない、明るい女の子がいた。 年は息子と同じ21歳。 チャップリンも息子の友達の中では、その娘がとくにお気に入りだった。 女優を見る目は、もちろんのこと。 チャップリンは、父親として、息子とその女の子がどの程度親しい仲なのかを見抜いていた。 その女の子の発音は一風変わっていて息子のことを「チャーアーリー」と呼ぶ。 チャップリンは、その「チャーアーリー」という言い方をマネては、よく息子をからかった。 だが結局、息子とその娘の仲は、それ以上に進行することはなかった。 彼女は、それから瞬く間にスターダムにのし上がって行ってしまったのだ。 その彼女が死んだというニュースが世界中を駆けめぐったのは、今からちょうど37年前の今日。 1962年8月5日。 チャップリン一家と親しくつき合っていた明るい女の子ノーマ・ジーンは、その時、マリリン・モンローと呼ばれていた。
参考資料:「わが父チャップリン」C・チャップリンJr/N&M・ロー=共著 木槿三郎=訳 恒文社=刊
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