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Episode No.095:男の役割、女の役割

大作曲家の夫に、名ピアニストの妻。これは昨日のシューマン夫妻の話。

こんな歴史の残る完璧な取り合わせは、なかなかないとしても、根本的に男と女の役割は違ってしかるべきだと思う。
違うからいっしょにいられるし、違うから楽しい。ひと口で言えば、そういうモンじゃなかろうか?!

そんなことは当たり前・・・と理屈ではわかっていてもと、人間、意地をはりだすと、そういう根本的なことが見えなくなってくることがある。

夫婦ゲンカで「お前、誰に食わせてもらってんだ!」という夫の言葉に妻がカチンとくるのも、つまりそういうこと。
最近では「そういうアンタこそ、誰にパンツ洗ってもらってるうえに、子供の面倒みてもらってるんだ」と力強く言い返す妻も少なくないかもしれない。

会社組織だって営業ばかりでは成り立たない。外勤がいて、内勤がいるから組織というものが機能する。

かの喜劇王、チャーリー・チャップリンは、生涯に4人の妻を持った。

いずれも美しい女優の卵たちで、チャップリンに見初められるくらいだから才能もあったに違いない。

しかし、妻としては最初の3人は失格してしまった。結婚後も女優業、そして派手な暮らしを続け、新作に打ち込むチャップリンが自分の相手をしてくれないことが、ひどく不満だったようだ。

最後の妻、ウーナは他の3人とは最初から違っていたた。
結婚が決まると、まず女優をやめた。チャップリンの妻として生きるだけでも精一杯だと悟ったのだろう。
しかも、小説家を父に持つウーナは、たとえチャップリンが仕事に没頭して、何日も家を空けることがあっても「芸術家とはそういうもの」と割り切って考えることができた。

むろん、凡人である我々が芸術家をきどり、仕事にかこつけて家をほったらかしにしたら大変なことになるだろうが、ここで言えることは、自分と同じでないからと言って、怒っても無駄・・・ということ。

男女の関係にかかわらず、人間、同じことしかできない者同士なら、何もいっしょにいる必要はなし、そこからは何も新しいものは生まれないだろう。

ちなみに、チャップリンは有名な自伝をこれまで自分が成し遂げた、あらゆる偉業を忘れたかのように、最愛の妻、ウーナへの賛辞で締めくくっている。


参考資料:「チャップリン自伝」中野好夫=訳 新潮社=刊

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