Episode No.3735(20100814)
30年目の夏〜「白い蹉跌」のころ
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友だちを集めて自作の映画を作る。
死ぬ役で出演した親友が
完成直後、本当に亡くなってしまった。

私はそういう経験をしたことがある。
決して忘れることが許されない記憶だ。
神奈川県立舞岡高等学校、受験を迎える3年生の夏休み。

あれからちょうど30年目を迎える今年のお盆は、
このことについてあらためて書き起こしておこうと思った。

機会があれば、ぜひ舞高の後輩たちにも読んでもらいたい。
私と私の仲間たちは、舞高3期生。
妻夫木 聡が入学して来る、ずっと以前の物語。

06 7月22日

30年前の夏…。
7月22日の事件を私は当日の晩に友人からの電話で聞いた。

その日の昼過ぎに私と学校の裏で別れたEは、私に話した通り、彼女のOちゃんを連れて2人で海に遊びに行った。葉山の森戸海岸だ。

友人からの電話を受けて、私はテレビをつけた。
ニュースには森戸海岸付近の地図が写し出されていて、その上にはスーパーの文字でEとOちゃんの名前が重ねられていた。

あの内気で恥ずかしがり屋のOちゃんは水死したとニュースは伝えている。
そしてEは行方不明。
普段ニュースを流し見する感覚から言えば、真夏の実に平凡な水の事故に関するニュースだろうし、できれば聞き流したいニュースだった。

何人かの友人たちはEを探しに森戸に向かった。
今のように高校生が携帯電話を持てる時代ではなかったから、学校や友人たちからひっきりなしに電話がかかってくるので私は自宅で待機していた。

眠れぬまま一夜を過ごした翌朝…。
現場に行っていた友人からEが見つかったという電話が入った。
普段はわりと落ち着いていてインテリな感じの生徒会副会長Iからの電話。そのIが受話器の向こうで、ひどく動揺しているのがわかった。開口一番、私は「生きてるのか?」と聞いた。

…返事はなかった。

この20数年後、私はまた不思議な出逢いをする。
そのことについては、別に書いた

さて、2人の通夜、告別式が行われている何日間かの間…映画を作り、生徒会活動をし、応援団を組織した仲間たちは、一人で家にいるのが嫌で、うちに集まって寝泊まりしていた。

毎晩「白い蹉跌」と文化祭と応援団の様子を移した8ミリを見た。
そして、見る度に何故今ここにEがいないのかを思った。

何もしないでいると気持ちが滅入るばかりなので、やがて私たちはそのフィルムをつなぎ直すことにした。
「白い蹉跌」のNGフィルムは、EとOちゃんの追悼フィルムになった。

夏休みが明けて、「白い蹉跌」と追悼映画「夢」の上映会は校内の視聴覚室で行う事になった。

「夢」というタイトルはEが大好きだった北山修の歌「夢」からとったものだ。

♪今、私の夢は壊されねばならない。
 今、あの人の夢が壊れたように。
 絶望の中を生きてゆくには、
 気休めの夢より、自分がほしい。

この歌が一番好きだとEに聞いたのも、「白い蹉跌」の製作中だったように思う。

追悼上映会については、そこまで演出する必要はないのではないか?という反論の声も校内にはなかったわけではないが、2人を写した膨大なフィルムがある以上、作らないわけにはいかないし、むしろそれを作るためにこのフィルムは遺されたものと私は信じた。

そして30年が経った今もそう信じて、これを書いている。

つい先日…
野暮用があって何十年ぶりかで母校・舞岡高校を訪ねた
ちょうど体育祭をやっている真っ最中だった。

30年の時を経て校舎は古びたが、空気は変わらなかった。

学校によっても違うようだが、舞岡高校では卒業生の名簿が筆で書かれた和紙のぶ厚い書類で残されている。
私の代…三期生の名簿をパラパラとめくる事務員の手元を見ると、知ってる名前が次々と目に飛び込んできた。

しかし、そこにEやOちゃんの名前はないはずだ。彼らは卒業していないのだから…。


【この項目のバックナンバー】
 05 応援団
 04 坂道
 03 生徒会
 02 Eとの出逢い
 01 友人の死

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