Episode No.3732(20100811)
30年目の夏〜「白い蹉跌」のころ
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友だちを集めて自作の映画を作る。
死ぬ役で出演した親友が
完成直後、本当に亡くなってしまった。

私はそういう経験をしたことがある。
決して忘れることが許されない記憶だ。
神奈川県立舞岡高等学校、受験を迎える3年生の夏休み。

あれからちょうど30年目を迎える今年のお盆は、
このことについてあらためて書き起こしておこうと思った。

機会があれば、ぜひ舞高の後輩たちにも読んでもらいたい。
私と私の仲間たちは、舞高3期生。
妻夫木 聡が入学して来る、ずっと以前の物語。

03 生徒会

映画「白い蹉跌」は県立舞岡高校・映画研究部製作である。
が、実態はやりたい仲間を集めて、部費ほしさに映研を乗っ取っただけの話。

当時は私は生徒会長もしていたので、部費というものがバカにならないことは知っていた。
1年の時、部の活動費は生徒から強引に集めている生徒会費から分配されることを知って漫画研究部を設立し、2年時はクラスで映画を撮り、3年になってそれまでの生徒会役員たちの体たらくに頭に来て生徒会長に立候補した。
便所で煙草を吸っていたような、いつもは生徒会の選挙などに投票しない無党派層が応援してくれたので当選できた。

生徒会室に集まる仲間の中には当然Eもいた。
Eには会長の特命で協議委員の副委員長をしてもらった。委員長が少々情けないやつだったので、事実上の委員長はEだ。
協議委員というのは生徒会の活動を監視する、いわば野党のようなものだったが、私とEとがガッチリ組んでいたので、まさにやりたい放題。

文化祭と体育祭を同時開催して一週間まるまるお祭り騒ぎをしてみたり、後夜祭は体育館でコンサートと大ディスコ大会。実におおらかな時代だったと思う。

後夜祭では勢いに乗ったEが大演説をして“青春”を盛り上げた。
「青春だよ」はEの口癖だ。それも今となっては虫の知らせと思えてならない。

今だから告白するけれど…文化祭というのは意外に儲かるものだった。

安易な参加方法として喫茶店をやるクラスが多くて、当時、1本50円くらいのコーラを氷を入れて3杯くらいに分け、1杯100円で売っていたのだから儲かるはずだ。まして冷房もない校舎だから売れる、売れる。

収益金は生徒会が集めて再分配する。

最も赤字を出していたのは映画を作ったグループだった。
当時はビデオなどないから、8ミリフィルムで撮って現像すると1分あたり1,000円くらいはかかったと思う。

そこで、映画を作ったグルーブに対し一律費用の90%程度を補填することにした。
みんな喜んでくれたと思うが…最も喜んだのは「白い蹉跌」を製作した我が映画研究部。

普通クラス単位で作った8ミリ映画は、せいぜい10分程度のもので、費用の2〜3万だったが、一流監督を真似て、湯水のごとくフィルムを使い、メイキングまで撮っていた「白い蹉跌」は本編だけでも42、3分はあり、30万くらいかかっていたからね。

だけど補填は“公平を期して”一律製作費の90%…。パーセンテージにしたところがミソだったな。

最もそれは最終的に、それも奇跡的に帳尻があっただけの話で、製作中は映研の部費だけでは当然足りず、生徒会費を流用してまかなっていた。もし儲かっていなかったら、どうなっていたことか…考えるだに恐ろしい。

しかし、何かができあがっていく時というものは偶然という必然が重なっていくもの。
できないことは逆立ちしてもできないが、それが生まれてくることを世の中が必要としていれば必ず奇蹟は起こる。

私の単なる思いつきと個人の思い入れで始まった「白い蹉跌」をめぐるプロジェクトは、いくつもの偶然と運命によって完成に近づいていった。

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【この項目のバックナンバー】
 02 Eとの出逢い
 01 友人の死

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