Episode No.3731(20100810)
30年目の夏〜「白い蹉跌」のころ
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友だちを集めて自作の映画を作る。
死ぬ役で出演した親友が
完成直後、本当に亡くなってしまった。

私はそういう経験をしたことがある。
決して忘れることが許されない記憶だ。
神奈川県立舞岡高等学校、受験を迎える3年生の夏休み。

あれからちょうど30年目を迎える今年のお盆は、
このことについてあらためて書き起こしておこうと思った。

機会があれば、ぜひ舞高の後輩たちにも読んでもらいたい。
私と私の仲間たちは、舞高3期生。
妻夫木 聡が入学して来る、ずっと以前の物語。

02 Eとの出逢い

自主製作映画といえばたいそうなものだが、しょせんは素人高校生の集まり。

映画に興味があった私が、少しばかりシナリオ形式を知っていただけの話で構成も撮り方も、すべては単なる思いつきだった。

一応、映画研究部部員だったのでスタッフは容易に集めることができたた。このことについては明日詳しく話そうと思う。

問題はキャスト。誰に頼んでも、たいていみんな恥ずかしがって出てくれない。

主人公は決め打ちしてあった帰宅部のKを口説いた。
一応、ヒロインもいたので、当初はKと噂のあったスカートの長いMに依頼したが、みごと撃沈。その後、Kとの仲も撃沈…?

最終的にヒロインを演じてくれたのは、結果的には当時校内で最も可愛いと言われていた卓球部のS。その後、私もそれとなくアタックして…撃沈したけど。

さて、本編のもう一人の主人公は、劇中で死ぬ主人公の親友役。

実はこの役を誰にやってもらうかが最も二転三転した。
…それも今思えば“運命”というやつかもしれない。

最終的に決まったのは、Eだった。

Eの墓石舞岡高校には公立には珍しくアメリカンフットボール部がある。
Eはそこのクォーターバックで、バンド活動もしていた人気者。色が黒くて世良公則のような感じの男っぽい男だった。

そのEと私は1年の時に同じクラスで出逢った。

スポーツマンのEと私とでは見た目はまったく違うが、活発という点においては似た者同士だったかもしれない。

出逢った頃はお互い目立っていたために、よく牽制し合っていた気がする。

1年の頃、私は得意な似顔絵で先生たちのイラストを描き、それでクラスの時間割表を作っては1枚10円でコピーしてはクラスメイトに売って小遣い稼ぎをしていた。

それを知ったEが私のところへやってきた。
また何か文句をつけてくるかと思いきや…「おまえ、頭いいな〜」と関心してくれた。

以来、Eと私は急激に仲良くなっていった。
お互いにないものを認め合っていたのだろう。例えは少々突飛かもしれないが、Eが植木等で私がハナ肇のようなタッグの組み方、かな?!
…そして3年になって、再び同じクラスになった。

「白い蹉跌」を製作することになって、問題の役をEに頼むことは実を言うと念頭になかったわけではない。
しかし、部活で忙しいEに別の部活である映画研究部の活動をさせるのは難しいと考えていた。

そこで苦肉の策として、死んだ友人役のEには、普段通りにフットボール部で活動をしてもらって、それを撮影して回想シーンとして使うことにした。

映画のために部活以外でEを撮ったのは、私のうちに来てギターを弾いているところとバイクで走るところくらい。
つまり、Eはこの役どころに対して、ほとんど何も演じてはいない。普段通りの生活をまるでドキュメンタリーのように撮っただけ。

それが本当の回想シーンになってしまったのだから、自分がやっていたこと自体が「白い蹉跌」にも思えたものだ。

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