挫折は若いうちに知るに限る。
若い頃の挫折であれば、
いくらでも取り返しがつくし、
挫折を知ることこそが
人生にとって必要不可欠な勉強でもある。
挫折を知らず、
自分が天才であるが如く
錯覚をしながら生きていくのは…
大人になってから麻疹にかかること以上に危険だ。
挫折…というのは少々オーバーかもしれない。
ようするに
自分の考えを世の中に通そうとして
鼻をへし折られる経験
…そう言った方が適切かもしれない。
もともと家族愛を知らずに育った早川徳次の人生は、
挫折から始まったと言っても言いすぎではないが…
独立して仲間と家族を手に入れるも
20代前半でシャープペンシルが売れずに苦悩する。
松下幸之助は、10代前半にして
商売は正しいだけでは成り立たないことを知った。
昔の人たちは早く社会に出た分、
早く大人になるきっかけを得た。
豊かな家庭や学校という温室がない分
…逞しかったと思う。
現代でも、自分や自分のまわりを見渡してみると、
仕事をちゃんとこなしている人は、
一度や二度は上司や客先に鼻をへし折られた経験を持っている。
学歴社会の今では、
早川徳次や松下幸之助の頃と違って、
それを経験する時期が非常に遅い。
だいたい20代前半で社会に出たとして、
最初の5年、10年くらいは
仕事を覚えたり、仕事についていくのがやっとだが、
30代に入る頃となると、
とりあえず一通りのことは覚えて、
そのうえ「こうすべきではないか?」などという
自分の意見も口にするようになる。
しかし、あいかわらず
何ひとつ責任は負わさせてはいない。
言うなれば、実際の責任者でないから言える
理想的だが無責任な意見だ。
そこで…鼻をへし折られることになる。
本人にとっては実に理不尽なことではあるが、
そうした綺麗事ではいかない
理不尽なことによって意見が通らないのも
…現実社会なのである。
そんな時…
相手ばかりを見てただ恨んだり、
投げやりになったりするか、
自分を見つめ直して意見を言える時を待つのか。
…この時に培った自分の操縦法が
後々の自分を支配し、仕事への関わり方を変えていく。
早川徳次の場合は、
さらに強烈な世の中の理不尽さに遭遇している。
客先からの要望に合わせて
毎週のように改良したシャープペンシルは、
ついに世の中に認められ、売上はうなぎ登り。
工場も大きくして200名余りの従業員も雇うようになる。
そんな矢先…
1923年、関東大震災が発生。
工場は倒壊し、妻と2人の子供の家族全員を失ってしまう。
早川徳次、29歳の夏の出来事であった。
独立開業して、ちょうど10年目…。
この地での事業再開は困難、
そう考えた早川は、大阪に移り住む決断をする。
一面の焼け野原を前に
仕方のない判断であると同時に、
愛する家族を亡くした土地にいるのは、
さぞかし辛かったに違いない。
一緒に大阪へ移った従業員は、わずかに3名。
開業当時と同じ人数での再出発だった。
【敬称略】
─明日につづく。
※昨日のページ