早くも40歳でペンを置き、
大金を抱えてさっさと田舎に帰ってしまったシェイクスピア。
もともと出稼ぎのつもりであったから、
何の未練もなかったろうし…
中年になってくると、やっぱり都の生活にも疲れて、
のんびりしたいと思ったのだろう。
だから、まさか自分の作品が、
歴史に残るなどとは考えていなかったに違いない。
本人にとってみれは、そんな未来のことより、
腐れ縁でも古女房や子供たちと暮らす方が
安堵感は強かったのではないだろうか。
名声と大金をつかんで戻った夫に対して、
昔はキツかった女房も
少しは優しくなっていたかもしれないし、ね。
自分の居場所がなくなったと感じ、家を出て、
俳優を目指すが挫折し、物書きの道に入る
…という、
共通した経歴をもつシェイクスピアとアンデルセンだが、
晩年においての生活は、まったく異なっている。
大きな違いが生じた最大の理由は、
アンデルセンが生涯独身だったことにあると考えられる。
アンデルセンも、いつくかの大恋愛はしていた。
…が、身分制度の厳しかった当時それは叶わなかった。
私生活での挫折を癒したのは旅だった。
40歳の頃、
アンデルセンはドイツでグリム兄弟と会っている。
そして、最後の恋が実らずに終わったのもこの年だ。
父親を早くに亡くしたアンデルセンは、
人一倍家族の団らんを求めたはず。
…きっと父親になりたかったに違いない。
父親になりたい気持ちが
童話作家となる原動力となったと考えても
決して間違いではないだろうし…
自分が失ったものを
童話作品に封じ込める決意をしたのが、
グリム兄弟と会い、創作への思いを新たにすると同時に
最後の恋が終わった…40歳だったんじゃないだろうか。
シェイクスピアは40歳で家族を再発見し、ペンを置き、
アンデルセンは40歳で
見つからなかった家族への思いを
末永く残る作品にしようと、あらためてペンを握り直した。
…これが2人の晩年の大きな違いである。
家族は自分の居場所の代名詞であり、
幸せを見つけることは自分の居場所を見つけることである。
早々に悠々自適な暮らしに入ったシェイクスピアであったが、
自宅で呑み過ぎたことが原因となり
51歳の若さで亡くなっている。
死の間際まで創作活動に打ち込んだ
アンデルセンが亡くなったのは70歳。
葬儀はデンマークの国葬として行われた。
本人たちにとって、
どちらの人生が本当に幸せな人生だったかを推察することに
…意味はないだろう。
歴史に名を刻んだ偉人に限らず、
誰にとっても自分の人生は他人と比較できないものだから。
ただ、我々が知ることができるのは…
いかなる偉人たちも
私たちと同じようなことを考え、そして挫折したこと。
そして、挫折の先にも人生はあるということだけだ。
【敬称略】
─シェイクスピアとアンデルセン〈了〉
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参考文献:
「世界の伝記/アンデルセン」立原えりか=監修/集英社=刊
「死に方科学読本」藤沢晴彦=著/徳間書店=刊 ほか