Episode No.921(20010808):内側から壊せ

かの、シーザーの言葉にこんなのがある。

「人間のというものは
 自分の望んでいるものをかたく信じるものだ」

この言葉から・・・2つのことが感じられる。

ひとつは・・・
望んでいるものをたかく信じ続けるという・・・「才能」。
今ひとつは・・・
自分が望んでいるものが世の中にあると思いこもうとする・・・「錯覚」。

きっと、この2つは・・・もともと同じなんだろうな。

世間に認められた「錯覚」が「才能」で・・・
自分が信じ続けた「才能」も・・・
求めてくれる人がいなければ「錯覚」に終わってしまう。

昨日、紹介した"オタク"エジソンの言葉で

「私はどんな目にあっても決して落胆しない・・・
 価値ある仕事をやり遂げるための必要条件は3つある。
 第一に勤勉。第二に頑張り、第三に常識である」

・・・というのがあったけど
この言葉のうち、世間に認めてもらうために最も重要なのが・・・
最後の「常識」じゃないかな。

「常識」をうち破るためには・・・「常識」を知らないと太刀打ちできない。
しばられたくなきゃ・・・ほどき方を覚えないとね。

もちろん「常識」だと考えられているものの中には
かなり「非常識」なモノもあるという話は前にもしたけど・・・
それに気づくためにも、まず「知る」ことは重要だ。

何も難しく考える必要はない。

「こんにちは」と言われたら「こんにちは」と返すことができるかどうか
これが常識なんじゃないかな?!

「常識」にふり回されるのは確かに馬鹿馬鹿しい。
でも最低限のエチケットは、どんな人間関係にも必要だし・・・
そこから逃げていては一歩も踏み出すことはできない。

「常識なんて・・・」と言ってるヤツに限って
「常識」のいらない安穏とした中で・・・
限られた人間たちとだけで暮らしをしているモンだ。

「若い」という言い訳の「温室」にいつまでもいたら、
そこで枯れるのを待つしかなくなる。
あるいは・・・ある日、突然「温室」のガラスは外から壊される。

世間はビュービュー風が吹いてる。
暑かったり、寒かったり・・・
でも、そこで飲む一杯の水は、
温室の中で飲む水とは比べモノにならないほど美味いんだ。


参考資料:「格言の花束」堀 秀彦=編 社会思想社=刊