関東大震災で会社と家族を失った早川徳次が
新天地を求め大阪に移り住んだ頃…
その大阪では早川と同世代の松下が事業を伸ばしていた。
9歳から6年間の自転車屋奉公を経た松下幸之助は、
電気時代の到来を感じ、
その後、大阪電燈の内線見習工となり20歳で見合い結婚。
大阪電燈では事務職への移動もあったが、
ろくに字が書けないということで現場に戻されることもあった。
人生のパートナーを得ると、
身体の弱い自分が無理せずに仕事ができるよう、
改良ソケットの実用新案をとって夫婦で製造販売に着手。
…松下電気器具製作所の誕生である。
早川が大阪に来た頃…
27歳の松下幸之助は、
砲弾型電池式自転車ランプを考案、発売の準備中だった。
自転車屋での奉公と
大阪電燈で得た電気の知識をフル動員した
砲弾型電池式自転車ランプにより、
松下電気器具製作所は
全国規模のメーカーへと飛躍していくことになるが、
営業センスは妻の方が上だった
…と、後に松下幸之助は語っている。
大阪での再起を模索していた早川は、
心斎橋で輸入物のラジオを購入する。
洋服が珍しい時代に
ベルトのバックルを考案した早川のことだから、
新しい物への興味は人一倍だったろう。
時あたかもラジオ放送が開始される時代の前夜。
これからはラジオの時代が来る
…そう確信した早川は、すぐさまラジオの製作に没頭した。
そして、国産第1号のラジオを製造、販売することとなる。
日本で初めてラジオを作ったのは、
松下でもSONYでもなく…シャープなのだ。
話はややそれるようだが…
江戸時代の町奉行・長谷川平蔵宣以(のぶため)は、
後に池波正太郎による「鬼平犯科帳」のモデルとして知られた人物。
その鬼平が、犯罪防止の一貫として行ったのは、
石川島に人足寄場を建設することだった。
1万6,000坪もあったという、その敷地には
寄宿舎と工場が設置され、
腕に覚えのあるものには大工仕事、
ない者には米つきや油しぼりの仕事が与えられた。
…今でいう公共事業だ。
ようするに犯罪を防ぐためには、
仕事が必要だと鬼平は考え、実際にその効果はあったらしい。
さらにさかのぼれば、
エジプトのピラミッド建設も公共事業だったという説もある。
辛いときも淋しい時も、
もちろん貧しい時も…人を救うのは仕事である。
生きることは仕事をすること
…と言っても過言ではないだろう。
仕事のために生きるなんて…何だか淋しい。
…なんて言う人は、本当の人間の淋しさを知らない人だと思う。
趣味を仕事にできれば、こんなに幸福なことはない。
…なんて言う人は、本当の貧困を味わったことがない人だと思う。
書いている私にも、
もちろん当てはまってしまうことだけれど…
だから時代に感謝する
…なんてことも言っていられないのが、
今私たちが置かれた
100年に一度の不況と言われる現代なんじゃないだろうか?
早川徳次と松下幸之助の
仕事のつかみ方を見ていると、
売れそうなもの=仕事になりそうなもの
…を必死で見つけようとしていたように思う。
私を含めて多くの人たちは、
辛くなると周囲を見渡して安心し、
仕事を考える時には
やりたいことを自分に問いかけている
…のではないか?
しかし、早川徳次と松下幸之助を見る限り
…それは、まったく逆である。
辛いときには自問自答し自分を変える。
仕事を考える時には
自分がやりたいことではなく、
世の中が必要としているものを探す。
決して金を稼ぐことだけが目的ではない。
世の中の役に立つことを自分がやる中で
自分の居場所を見つけ出すのだ。
早川徳次と松下幸之助にあらためて教わった、
このバランス感覚を…
今年はことある事に自問自答してみようと思う。
さて…
一代で巨大企業を作り上げ財を成した
早川徳次と松下幸之助は、
本業を成功させたうえで、こんなことも行っている。
継母に虐待を受けていた早川徳次を
かんざしや精巧な金属製品を加工する仕事場に
連れ出してくれたのは、
近所に住む盲目の女性だった。
この女性の手のぬくもりを生涯忘れない
…と語った早川は、
戦後まもなく、失明者が働くための会社を設立した。
また、晩年には保育園の経営もしている。
これは失った自分の子供たちへの供養だったに違いない。
松下幸之助が、
松下政経塾を建てたのは有名な話だが…
学歴がないどころか、
ろくに字も書けずに苦労した人物であるにもかかわらず、
メリーランド大学からは名誉法学博士の学位を、
パシフィック大学から名誉人文学博士の学位を受けている。
本当にやりたいことは、
できるようになった時にしないと、
結局は中途半端なものになってしまう、ね。
それには、まず必要とされるものを確立することだ。
そして…苦労せずして、苦労が実を結ぶことは絶対にない。
【敬称略】
─早川徳次と松下幸之助〈了〉
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参考文献:
「シャープの歩み」SARPホームページ
「松下幸之助 年譜」PHP総合研究所ホームページ
「エピソードで読む松下幸之助」PHP総合研究所=編著