Episode No.898(20010712):いつも心に絶対者
今日、7月12日は「禅」を世界にまで広めた鈴木大拙(だいせつ)の命日。
大拙は明治3=1870年のこの日、96歳で大往生している。
いわく・・・「東洋の心は無心になること」。
邪心だらけの私には、まだまだ理解できない、その境地とは何だろう?
ただ、ちょっと考えられるのは・・・
何かを無心にやり遂げる、ひとつのコツとして「絶対者」が必要だということ。
絶対者? 完璧な人間などいるワケはない。
したがって絶対的なモノなど現実には存在しない・・・とは私も思う。
ただ、自分にとってのインパーソナルな絶対者を持つことは
自分の行動を制御し、また力を出すため、間違いなく励みになる。
それは・・・
親でもいいし、先生でもいいし、先輩でもいい。
あるいは彼、彼女でもいいし、片思いの相手でもいい。
親になると自動的に、それが子供になったりするのだが・・・
とにかく「自分以外」の何者かだ。
ようするに勝手な思い込みなんだけど・・・
自分のためと思ってしていると
かえって「それなら、しなくていい」という甘えにつながりやすい。
だから、半ば強引にでも絶対者を立てて、そのために頑張る。
その方が頑張りやすいし・・・
もし、その相手から何かを学ぼうとするなら
絶対者だと思わない限り、どこかでバカにしてしまい学びとることもできないだろう。
私の場合、学校の先生の小バカにしていたために・・・成績は悪かったし。
戦争の悲惨な体験もない私が、こういうことを言うと誤解されるかも知れないが
ある意味「絶対者」がいた戦時中は、頑張りやすい時代だったと思う。
少なくとも男にとってはね。
さぁ、自由にしてください・・・そう言われた瞬間に
どうしていいのかわからなくなって、かえって不自由さを感じる人も多いだろう。
絶対者は別に人じゃなくて、仕事でもいいんだけどね。
とにかく自分の利益を忘れて一心に向かうことのできる対象がないと・・・
なかなか頑張れないというのが本当のところ。
私の心の絶対者のひとり、阪急の創始者、小林一三は、こんなことを言っている。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」