Episode No.076:つねにライバルの上を行け!
何もない田舎を走る鉄道の責任者は考えた。
"何か目的がありさえすれば、お客はウチの汽車に乗って来る"
そこで、家族みんなで楽しめる行楽地を作ることにした。
ただの行楽地じゃあ面白くない。どうせ作るなら"日本で初めて"のものを作ろう。
と、いうことで作られたのが"日本初"の温水プール。
しかし、時代が早過ぎた。
時は明治時代。いかに水着を着ているとはいえ、男と女が同じ"湯"につかるなんて!!
結果、客は集まらない。
さて、それでは何が今ウケているのか・・・とライバルを見渡したところ、街中では客集めの催しとして児童合唱団がたいした人気だ。
早速、温水プールにフタをして簡単な舞台を作った。
向こうが男なら、こっちは女で行こう。子供とはいえ女子の方が賃金も安い。
ただ、同じように歌をうたわせるだけでは芸がない。
幸い、かつて小説家をめざしていた、その責任者には文才もあった。
ここは、ちょっと芝居でも書いて、歌と芝居をやらせてみよう。
こうして誕生したのが"宝塚歌劇"である。
責任者の名前は、小林一三。阪急電鉄の創始者である。
明治から戦前にかけて、俳優には免許が必要だった。
そこで一三は、音楽学校を設立。出演者たちは皆、俳優ではなく生徒とした。
宝塚歌劇団は、あくまでも音楽学校の生徒の発表の場・・・だというわけ。
企業であり、劇団であり、しかも学校。
この世界にも例を見ない独自のシステムは、80年以上経つ現在も揺らぐことがない。 |