Episode No.872(20010612):ありのままの自分で戦いぬけるか?

享年74歳、畳の上で大往生・・・
といえば、それだけでも確かに大変なコトだとは思うけど
まぁ・・・今ではそう珍しくもない。

ただし、今から108年前の明治26年6月12日にこの世を去った男は・・・
とても畳の上で死ねるような人間ではなかった。

駿河の国は清水港にこの人ありと言われた山本長五郎。
通称・・・清水次郎長である。

映画やテレビに描かれた大親分・次郎長は、もちろんフィクションの部分が多い。
実際には子分は5〜6人しかいなかったという話もあるし。

その次郎長が、なぜこんなに語り継がれることになったのか・・・
ということについては、ずっと以前に書いた

浪曲に興味を覚えて一時、次郎長のことを調べまくって・・・
墓のある梅陰寺にも行ったことがあるけれど
現実の次郎長の姿を知っても・・・その魅力は決して衰えなかった。

次郎長自身は・・・決して有名になろうとして、いろんなことをしたワケではないからね。

人間、誰しも「こう見られたい」と思うことはあるモンだけど・・・
「見られたい」自分と「本当の自分」の間にギャップがあり過ぎると必ず無理が生じる。

「本当の自分」なんて・・・
自分じゃよくわからないモノだけど・・・
少なくとも、そのスタイルをどれくらい続けていられるかどうかで
それが「本当の自分」なのか「作ろうとしている自分」なのかはわかってしまう。

自分自身が苦しくなれば真っ先に自分で気づくことになるし・・・
そのシワ寄せを他人に向けていたとしたら
キズついた人間によってそれは、いとも簡単に発見されてしまう。

清水次郎長をはじめ・・・
偉人の多くは「本当の自分」を貫いた人ばかり。
決して我慢せずに、ね。

作って見せていた人の最期は・・・たいてい畳の上ではない。

畳の上で死んだ方が偉いとは、一概には言えないけれど・・・
畳の上で死ねなかった人は、結局、最期まで他人に迷惑をかけてしまうことになる。

「いつか穴埋めをしよう」と思っていた「いつか」は・・・永遠に来ない。

昨日の続きのような話になってしまうけれど・・・
「いつか稼ごう」と思っていても今日稼いでいない人は
また、今日の稼ぎより大きな借金をしてしまう人は
利子の方がはるかに早くふくらんで、手に負えない状態に陥って・・・
「見せたい自分」は最期に「かくせない自分」にツブされてしまうだろう。

カッコいい人より、勇気のある人の方が、数段カッコよくて・・・強いと思うな。
弱さをいくら隠したって・・・強くなったことにはならないモン、ね。


参考資料:「歴史の意外なネタ366日」中江克己=著 PHP文庫=刊 ほか