Episode No.759(20010131):いきなりは飛べない
最近は景気のおかげで、出張取材なんてのもしばらくやってないけど・・・
かつては半年に一度は北海道に行っていた。
最も、あくまでも仕事だから・・・
小樽の裕次郎記念館もトイレまでしか入ったコトはない。
で、今日は石原裕次郎の話・・・というワケじゃなくて
出張の時にチラリとだけ立ち寄らせてもらったスキーのジャンプ台の話。
たまたま仕事先の人が学生時代にはジャンプの選手のやっていた人で・・・
あの笠谷選手の先輩。
私がジャンプ台を間近で見たのは雪の季節じゃなかったけれど・・・
その大きさには圧倒された。
いつもはテレビでしか見たコトなかったからね。
こんなところからスキー履いて飛ぶなんて・・・人間業じゃないと思った。
ビルの上から投げ出されてるようなモンだ。
スキーだけじゃなく、機械体操とか見てても思うんだけど・・・
どうして、ああいうコトができると思えるのか・・・不思議でたまらない。
でも、確かにそれをやってのけている人がいて・・・
自分もできるようになりたいと真剣に思って練習すれば・・・
少なくとも素人を「スゴイ」と唸らせるくらいのコトまでは誰にだってできるんだろうね。
昨日・・・ついに、このホームページがWebコンペで1位になった。
部門の1位だから、まだまだスゴイのはいっぱいあるけどね。
年末に参加した時は、確か46位くらいからスタートしたと思う。
1位との差は、ゆうに3,000ポイント以上あって・・・気が遠くなった。
でも・・・コツコツ更新を続けて、みんなに呼びかけていたら、とうとう1位になれた。
まぁ、この1位は本当に他力本願な1位だけどね。
今から、ちょうど45年前の1956年の今日、1月31日。
第7回冬季オリンピック大会で、男子スキー大回転に出場した猪谷千春が2位に入賞。
冬季オリンピックでは初のメダルを日本にもたらした。
今ではメダルとるのは当たり前みたいになってるけど・・・
そういう時代があったんだね、やっぱり。
この年には、その影響で「千春」と名付けられた子供がずいぶんいたらしい。
松山千春は・・・どうだったんだろう?
今年あたりは「亮子」とか「尚子」とか増えるのかな。
子供たちの連絡網を見ると・・・
今、「○○子」ってつく女の子はひとりもいないけど。
ああ・・・もう21世紀が1ヶ月終わる。
何もしていなくても・・・コツコツやってても・・・時間は過ぎてくよね。