でじたけの「人生日々更新」つくられる歴史〜お吉にされた美少女-その3

Episode No.4555(20130327)[偉人]Great man

つくられる歴史
〜お吉にされた美少女-その3
The history is made artificially 03.

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伊豆急下田駅から徒歩約5分くらいの場所にある
宝福寺の入口には
美男・美女の絵がドーンと掲げられている。

美男の方は福山雅治風の坂本龍馬で、
美女の方は本人の写真を模したといわれる唐人お吉

坂本龍馬 飛翔の地…の意味合いは昨日説明した通り

お吉が眠る寺…の意味は、そのまま
お吉の墓があり、お吉記念館も併設されている。

龍馬とお吉は、今やこの寺の二代看板となって
観光客の人気を集めているが、
身寄りのないお吉を、この寺の住職が引き取った時には、
檀家は一斉にブーイングし、その結果、
住職は30年も寺に戻れなくなってしまったらしい。

ところが、昭和に入って『唐人お吉』がブームになると、
本物の墓はこっち
…なんていう別の寺も現れたというから驚きだ。

この『唐人お吉』ブームも
決して自然発生的なことではない。

もともとのお吉の話は、
郷土研究家による調査レポートが元になっているが、
それを川端康成と同世代の作家、十一谷義三郎が
かなり大胆に脚色して、ドラマチックな物語に仕立てた。

東京朝日新聞に『時の敗者・唐人お吉』として連載、
昭和3(1928)年に本が出るとたちまち人気を呼んだ。

現在、下田へは東海道線の熱海から伊東線を経由して
伊豆急下田までは1本で行けるし、
東京から直通の踊り子号もあるが、
伊豆急行が開業したのは昭和36(1961)年12月。

熱海〜伊東間でさえ
鉄道が通ったのは昭和13(1938)年からだ。

昭和のはじめに下田に行こうと思ったら、
熱海から乗り合いバスか、船しかない。

当時、東京〜大島〜下田の観光船を運営していた
東海汽船の前身、東京湾汽船では、
『唐人お吉』を1万冊買い取り、船内で配布、
下田観光のPRに大々的に活用した。

そのおかげもあってか、十一谷義三郎の『唐人お吉』は、
出版された翌月には第八刷となるほどの売れ行きだった。

本には、こんな挿絵が載ってたらしい。

これじゃあ誰もがお吉に同情するだろうけど、
敬虔なクリスチャンのハリスがちょっと可哀想だな。

この物語は昭和5(1930)年に舞台化されたのを皮切りに、
歌にも歌われ、映画化もされた。

同じ年、昭和5(1930)年には、
6月に河合映画で、
7月に日活太秦で、
翌年12月には松竹で映画化されている。

お吉の墓は、もともとみすぼらしいものであったが…

当時の人気女優・水谷八重子が
『唐人お吉』を演じることになった時、
東京湾汽船ではお吉に扮した水谷八重子を船に乗せ、
一大キャンペーンをはった。

その際、みすぼらしいお吉の墓を見た水谷らが、
今ある立派な墓を寄贈したという。

その後もなんと、お吉は
ハリウッド映画に登場している。
しかも、主演はジョン・ウエインだ。

舞台化…といえば
1992年10月13日、
下田と同じ伊豆にある伊東で
『唐人お吉』公演期間中、
深夜に車ごと海に転落して亡くなった
女優・太地喜和子

お吉と同じく深酒をしたうえ、水死してしまったことで
因縁めいた話が後を絶たないが真相は誰にもわからない。

実は今日、3月27日は、
お吉が下田・稲生沢川門栗ヶ淵…
現・お吉が淵で水死した命日だ。

お吉の没年には諸説あり、
菩提寺である宝福寺では
過去帳を根拠に51歳だったとしている。

一方、旧下田役場に残る戸籍簿によると
太地喜和子と同じ満48歳だった
…という話も。

シリーズ3日目にして、
今日もまたまた、タイトルにある
「お吉にされた美少女」の話まで到達できず。

つづきは、こちら。

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