でじたけの「人生日々更新」お吉と喜遊・下

Episode No.4551(20130322)[偉人]Great man

お吉と喜遊・下
OKICHI & KIYU-2.

非常によく似た境遇を持つ、
開国の舞台裏における二大悲劇のヒロイン、
下田のお吉と横浜の喜遊
…だが、当時の貧しい日本には、
同じような境遇の少女はゴマンといたことだろう。

にもかかわらず、この二人が、
とくに歴史に名を残したのは、
二人が勝ち気な性格で、大和撫子たる
凜としたプライドを持っていたからではないか。

また、そのキャラクターが小説や舞台となった時、
圧倒的な支持を受けたからに違いない。

遊女にして外国人に身を任せることを拒み、
19歳で武士のように自害した喜遊
その父親ゆずりの信念の強さは言うまでもない。

お吉の場合、実際のところ
羅紗綿(らしゃめん=西洋人の妾)扱いされたのは、
まったくの風評被害といっていい。

お吉がハリスの元に通ったのは、わずか3日。
いろいろと調べてみると、17才のお吉と
51才で敬虔なクリスチャンであるハリスとの間には、
男女の関係はなかったと考えられる。

事の真相は、
24才の元気な若者だった通訳のヒュースケンが、
ハリスが病気で看護婦を必要としていることにかこつけて、
自分の妾もついでに幕府に要請したらしい。
ハリスもそれを仕方なく黙認していたあしがある。

お吉と一緒に玉泉寺に行き、
ヒュースケンの相手をしたお福こそ、
言うなれば最初の羅紗綿だった…という
坂口安吾の説が正しいように思う。

ところが一瞬にして何十両という金を手にしたお吉は、
世間からねたまれ、唐人と蔑まされた。

唾を吐きかけられようと、
石を投げつけられようと、
国のために体をはったことに誇りを持ったお吉が、
世間のねたみの標的になったおかげで、
ヒュースケンの元に5ヶ月通ったお福は
注目されずに済んだ可能性もある。

お吉には、酒がたたって乞食に身を落とした時でさえ、
哀れみに差し出された米俵を開いて、
町民の前にまき散らしたというエピソードも残っているが、
そういうプライドを貫く行動が、
かえって世間のひんしゅくを買った感も否めない。

3月27日は、そんなお吉の命日
伝えられているお吉の性格が事実に近いとすれば、
酒のせいで半身麻痺したお吉は、
決して自ら川に身を投げたのではなく、
水を飲もうとして誤って溺れたのではないかと思う。

お吉、こと、斎藤きちも…
喜遊、こと、箕部喜佐子も…、
なまじプライドなど持たなければ、
これほどの不幸な人生を歩むことはなかっただろう。

しかし、プライドを捨てていたら、
きちは、きちでなくなり、
喜佐子も、喜佐子ではなくなっていた。

自分を守る、とはいったい何だ?

そこに人間が生きるうえでの大きな葛藤がある。

だから…人生、日々更新。

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