自分が40歳を過ぎて41歳になった時…
ああ、松田優作より年上になってしまった
…と感じた。
「太陽にほえろ!」のジーパン刑事を
リアルタイムで見ていた私と同じ世代の男性なら
誰もが似たようなことを感じたに違いない。
そして、45歳を過ぎ46歳になった時には…
とうとう三島由紀夫より年をとったか
…と思ってしまった。
三島由紀夫が
自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決をした昭和45年。
小学2年くらいだった私に、
その事件の経緯や意味がさっぱりわからなかったが、
テレビに映し出されるバルコニーに立った男が
何かを叫んでいる姿は印象として残っている。
そして、男が首を落として死んだことを知ると、
三島由紀夫の名は痛烈な記憶として刻み込まれた。
今回の比較人物論では、
三島由紀夫と松田優作を通して、
「男の生き様と死に様」
…について考察してみたいと思う。
「男の〜」とあえて書いたのは、
それが男の理屈であり、
女性から見れば、あるいは滑稽で、
まったく理解し難いことであることを想定しての話だからだ。
しかし…
いかに理不尽なことのようでも、あるものはある
…のである。
「生き様と死に様」といえばカッコいいし、
三島由紀夫と松田優作であれば、
そのままカッコいい…で通るだろうけれど、
これがさて自分に照らし合わせようとすると、
ともすれば「男の言い訳」になってしまいかねないが
…それもまた真実。
正しかろうと間違っていようと…あるものは、ある。
では、三島由紀夫と松田優作の話を進めよう。
この、まったく世代の異なる2人をつなぐ
キーワードについて、まず書きたい。
美意識の強さである。
美意識などという言葉は
我々が日常生活において、
ほとんど使われない言葉だろう。
だが、或ることを意識した瞬間、
この美意識が沸々と浮かんでくるのを感じる。
その或ることとは…死である。
それも強いていえば、
肉体の死ではなく、アイデンティティの死。
もっと言えば…
肉体の死以上に
自己同一性を失うことを恐れる魂の
バランスをとるべく生まれてくるのが
美意識ではないだろうか?
それでは何故、
三島由紀夫と松田優作は
アイデンティティを失うことを人一倍恐れたのか?
…最も影響を与えたのは、やはり親だったと考えられる。
三島由紀夫の父、平岡梓は
東京帝国大学を出て農商務官僚まで努めたエリート。
大学時代の同期には、岸信介がいる。
その父、つまり三島の祖父・定太郎もまた、
東京帝国大学を出た後、内務官僚を経て、
福島県知事まで努めたエリートで、
東大予備門において夏目漱石と同期だった。
そんなエリート意識の強い平岡一族だったが、
定太郎が疑獄事件を起して逮捕され失脚したこともあり、
父・梓のエリート意識は一度崩壊しかかった経験を持つ。
母・倭文重(しずえ)は
開成中学校の校長を務めた漢学者の娘で、
その影響もあって文学少女だった。
後のノーベル文学賞候補作家、
三島由紀夫に最も影響を与えた人物は、この母だろう。
息子・公威(きみたけ)=三島由紀夫が幼少の頃は、
姑が「子供は2階にいては危ない」と
母子を切り離し、自分の部屋で公威を育てた。
母と息子が会えるのは
授乳や決められた散歩の時間だけで、
そうした生活は公威が学習院中等科に入るまで続いた。
一方、父・梓は
文学に熱中する息子に業を煮やし、
息子が書いた原稿を破り捨てたこともあったという。
文学に熱中したのは、
いわば母との関係を割かれた
淋しさからではなかったのか…。
母と離ればなれの不自然な暮らしを容認し、
自分が熱中する文学を否定する父に、
思春期の公威が
一種の憎悪の念を感じていたとしても不思議はない。
その一方で、祖父や父譲りの
他人にバカにされたくないというエリート意識は
脈々とつちかわれていった。
松田優作と両親との間にも同じような関係が存在する。
が、下関にあった松田家は
エリートでもなければ、
どちらかというと人並み以下の暮らしぶりだった。
松田優作に父親はいない。
在日韓国人の母は、日本人男性との間に優作を宿したが、
その日本人男性は子供ができたことを知ると、
どこかへ逃げていってしまったのだ。
松田優作の本当の誕生日は1949年9月21日だが、
母親は…
「同級生たちよりも身体が大きいし、知恵も上で、有利になる」
…と考え、意図的に出生届の提出を遅らせたため、
戸籍上は1年遅れの1950年9月21日生まれになっている。
落ちることが許されないエリートの一家にも、
生きて行くのがやっとの場末の一家にも、
同じように…
他人にバカにされたくない
…という異常なまでの強い意識と母子の強い絆があった。
異常なまでの強い意識…それは言い換えれば、
他人にバカにされるくらいなら死んだ方がマシだ
…という命がけの思いであり、
それは揺るぎない美意識へ通じていくことになる。
【敬称略】
─三島由紀夫と松田優作〈つづく〉