先日、檀家になっている寺の僧侶と
会食をする機会があった。
宗教との関わりは、
葬儀や法事の時くらいしかないから、
写経すらしたことはないし、
自分の家が何宗であるかすら正確には知らない。
次男である父が、
霊園より寺に墓を持つことを希望して、
もう17年も前に墓だけは建てたので、
何度か付き合いで法話は聞きに行ったことはあるが、
僧侶と対面で食事をするのは初めてのこと。
まず、僧侶に
どんな食事をご馳走していいのかわからない。
…が、結局は杞憂。
よほど特殊な宗教でない限り、
食するものは我々と同じ。
同じ時代に生きてる人だから、ね。
かつて会食させていただいた
画家の先生の時もそうだったけれど、
会社勤めをしている者からすると、
特別な仕事に就いている方の話は面白い
…というか新鮮だ。
同じ時代を生きていても、
世間を見る角度は、やはり多少なりとも違うし、
何せ、そうした中で、
どうやって世間と充分な関わりを持って
業を成しているのかは実に興味深い。
哲学、宗教、そして科学が、
同じ線上にあるという概念も改めて強く感じた。
やはり…
気づいたことは哲学で、
それを信ずれば宗教となり、
何故そうなのかという
疑問を追求すれば科学になる。
…しかるに根源は同じなのだ。
加えて感じたのは…
自分の住む町に、
寅さんに登場する
笠 智衆演じる帝釈天の御前様のような、
日常の相談事をできるような人が身近にいた時代には、
精神科や心療内科といった病院は
必要がなかったのではないか…ということ。
人と関われなくなる心の病は、
人と関わらないが故に起こるのではないか?
あるいは、
そこに関われる人がいなかったために起こる。
心の豊かさを求めるのなら、
一人でも多くの人に出会った方がいいな。
だから…人生、日々更新。