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Episode No.765(20010207):出逢いは起爆剤

大正15=1926年3月生まれだから・・・今年で75歳。

父はイギリス企業の電気技師で・・・5ケ国語を操る当時としては珍しい国際人。
5人兄弟の次男坊として生まれた彼の名は・・・
敬虔なクリスチャンである母がつけたものだ。

話すことと食することを神に守ってもらいたい・・・
そんな親心からつけられたのは、十字架が「口」に入ってる「田」という名。

藤田 田(でん)は、日本人の食文化に最も影響を与えた人物のひとり・・・
日本マクドナルドの社長だ。

昨年の日本経済で特徴的だったのは・・・物価が下がったというコト。
その火付け役になったのは、マクドナルドの半額セールだったとも言われている。
いや、もはや平日は常に半額なのだから・・・セールとは言わない。
大胆な値下げである。

力のあるところが大胆な行動に出ると・・・
力のないところでは対応しきれずに白旗を上げるしかなくなる。
JR系列のハンバーガーショップもついに身売りが決まった。

これまで、力のある巨大企業はその巨体ゆえに大胆な行動に出るコトはできなかった。
むしろ大胆という言葉は小回りの利く企業のための言葉という感さえあった。

しかし、血のめぐりの悪い集団がバタバタと倒れていく中・・・
見せかけだけの力ではなく、本当に動かせる力を持った企業は社会さえ変えようとしている。

藤田社長が商売に長けているのは、何も大阪生まれだからだけではない。

裕福に暮らしていた藤田家は、戦争によって・・・
父、兄、弟、そして財産のすべてを失った。

英語で書かれた父の遺言通り、東大の法学部へ進んだ藤田は・・・
得意の英語力を活かしてGHQで通訳のアルバイトをし・・・
公務員の初任給が2,800円の時代に月給1万8,000円を手にしていた。

しかし、若くして手にした分不相応の金は身に付かない。
毎晩のように豪遊に走った無頼漢ぶりは本田宗一郎を彷彿とさせる。

藤田が貿易の道に入ったのは、GHQ勤務のユダヤ人軍曹と知り合ったのがきっかけだ。

無論、英語ができなきゃ出逢えるはずもなかっただろうけど・・・
新しいコトをはじめるようと思ったら・・・
「自分の言葉」が通じる刺激的な仲間を探すコトが必要不可欠なんだろうね。


参考資料:「藤田 田語録」ソニー・マガジンズ ビジネスブック= 編 ソニー・マガジンズ=刊