でじたけ流 教育論611「科学と宗教と哲学」
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20120422

でじたけ流 教育論611

でじたけ流教育論 digitake.com


中学、高校、大学…と、
それぞれ新しい学校に進級した子供たちも、
そろそろ本格的に授業や部活が始まって、
相変わらずあわただしい毎日が続いている。

進級前と大きく変わったのは朝の様子。

小学校と中学はウチの目の前だったから、
かなりのんびりできたけれど…
高校、大学はそうはいかない。

日によっては6時前から、
けたたましい目覚まし時計が鳴る日も
珍しくなくなった。

…ま、結局、
本人たちより私のが早く起こされるってことに
変わりはないけど、ね。

思えば子供たちと話す内容も、かなり変わってきた。

この間、
理科専門の大学に進学した長男を交えて、
カミさんを含めて3人で、そんな話をした。

きっかけは、長男が大学で
哲学の講座もとろうかと思う
…という話からだ。

私は理科系の話はまるでわからないし、
哲学だって、
まともに勉強したことのない自分だけれど、
このホームページを10年以上書き続ける中で
多少の学習はしてきていた。

そこで得た知識の結論は…
科学と宗教と哲学…
さかのぼれば発祥は同じ。
…ということ。

宗教で信ずべき絶対的なことに対し、
何故という疑問が生まれると科学になる。

信ずることの裏付けではなく、
意味を説こうとすれば哲学だ。

宗教と科学と哲学。
いずれも目的はひとつで、
それは…
人の背中を押すこと。

…だから、やる。
の、だからの部分が
何であるかの違いだけで、
やらねばならないことに変わりはない。

したがって…
宗教家も科学者も哲学者も、
実業家も芸術家も、
干物を売ってるおばさんも、
軍人も政治家も、
何を通じて
そのことを理解したかの違いがあるだけで、
最終的に言っていることは同じなんだ。

そこに達していない人は
…エセ何とか、だったり。
つまり、半人前ということなんじゃないか?

大根役者は素人が見ても一目瞭然でわかる。

けれど、一流の役者は
本当にそういう人に見えるだけで、
その自然さが努力によるものであることを
決して悟らせない。

自分が同じようにやってみようとするとはじめて
…その難しさがわかってくる。

それを越えた人たち同士は、
みんな人生の戦友なんだ。

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