松下幸之助と同じく、
関西の実業家である小林一三は、
私が最も尊敬する経営者だ。
小さな体で、もとはグータラ銀行員。
その銀行員にも、
別になりたくてなったわけではなく、
友だちに誘われて受けただけ。
小説家をめざしていたから、
サラリーマンとしての出世など眼中になかった。
それが、さまざまな人との関わりの中…
阪急電鉄の前身の会社でらつ腕をふるうことになる。
小説を書くように
商売の世界でアイデアをふくらませ、
好きなエンターテイメントの世界においても
宝塚歌劇団を作るなどの功績を遺した。
小林一三は…
1873年(明治6年)1月3日生まれ。
※名前の一三は、この誕生日に由来する。
松下幸之助は…
1894年(明治27年)11月27日生まれ。
…だから一三の方が21歳も年上だ。
その小林一三が、
兵庫県西宮に家を建てた松下幸之助を
訪ねたことがあるという。
幸之助の新居は敷地300坪。
当初予算の3倍の60万円と、
2年の歳月をかけて完成した純和風の豪邸。
1937年(昭和12年)に完成しているので…
昭和16年当時の貨幣価値は今の2,500分の1だったから、
今なら60万×2,500=15億円以上???
この時…
小林一三、64歳。
松下幸之助は、なんとまだ43歳の頃。
幸之助の豪邸を見渡した一三は開口一番
「えらいもの建てよったな。
うちはここの3分の1くらいだが、
それでも大変や。松下君、苦労するで」
…と言ったらしい。
幸之助は何のことだがわからなかったが、
しばらくすると、すぐにわかった。
部屋の掃除など維持管理に、
べらぼうな金がかかるのだ。
それでも…
「この家は300年後に
今の建築技術を伝えるためのものだから仕方ない」
…と腹をくくったという。
博物館などは、
よく元は貴族の家だったとか聞くけど、
最初から博物館にするつもりで住むなんて!
そんな覚悟や使命感もあってか…
松下幸之助は独立して38年後、
60歳を迎える頃には日本一の金持ちになった。
参考「エピソードで読む松下幸之助 」PHP新書=刊