Episode No.497:最初からボスにはなれない
自動車業界や製紙業界など、これまで国を支えてきた業界の再編が活発だ。
中でも一般に身近な話題として騒がれているのが金融業界の再編・・・。
国際的な競争力をつけるために、10数行あった都市銀行が事実上4行程度になる。
今日、3月31日は日本で初めて私立銀行として設立された三井銀行が誕生した日。
1683(天和3)年に三井財閥の祖、三井高利が創業した三井両替店は、1876(明治9)年3月31日に三井銀行の名称公許を受けている。
三井銀行と聞いて私が真っ先に思い出すのは・・・尊敬する実業家、小林一三のこと、だ。
慶応義塾大学を出た一三は、作家志望。
知人に誘われた新聞社に入社して、その後、作家になるつもりでいたが・・・。
知人のアテがはずれて新聞社に入るコトができず「だったら何でもいいや」という感じで就職したのが、三井銀行だった。
どうせ作家になるつもりだった一三は、20歳で銀行員になった後、34歳になるまで14年間もいわゆる"グータラ社員"として過ごしている。
給料はすべて芝居見物などの遊びにつかってしまい・・・社会人となってからも実家から仕送りを受けていたほどだ。
最もこの時に芝居見物にのめり込んでいなければ、宝塚歌劇団を作ろうなどとは思わなかったかも知れないが。
そんな一三を見いだしたのは、三井銀行時代の上司。
その上司に可愛がられた一三は、上司が銀行を辞めて事業をはじめるコトになった時、自分も連れていってくれるものだと信じていたが・・・。
一三は、新しく発足する別の会社をきりもりするように言われ、それに従った。
その会社が箕面有馬電気軌道株式会社・・・現在の阪急電鉄である。
専務取締役に就任した一三に元上司は言った。
「小林くん、これからは給料をもらう側ではなく、払う側になりたまえよ」
そこから一三の実業家人生がはじまり、これまで原稿用紙の上にしか描かなかったアイデアは・・・。
日本初の電車の中吊り広告となり、建売住宅となり、駅ビルとなり、宝塚歌劇団となり、選抜高校野球大会となり、ビジネスホテルとなって花開いた。
「すぐれた指導者は、人間を好き嫌いしない。
能力を見分けて、要所、要所に配置する。
進むべき方向を明確に示し、後は裁量に任せる。
肝心なのは大事を任せられる人を見つけることだ」
・・・とは、昨日に引き続いて田中角栄の言葉。
小林一三の裁量は、もちろん大したモノだが・・・。
グータラ社員の一三の才能を見いだして、いきなり大役につけた上司もスゴイ。
若い時には、まずできるだけ優れたボスを探し出して・・・。
とことんつき合うというのも・・・大切なコトだろう、ね。