Episode No.593(20000721):損して得、得して損 今日、7月21日は日本初の通学定期券が発売された日だ。 明治29年=1896年のコトだから、104年も前のコトになる。 発行したのは、現在のJR山陽本線の前身である山陽鉄道会社。 東京や大阪ではなかった・・・というのが、ちょっと驚きだけど・・・。 考えてみれば、大都市には最寄りにたくさんの学校があるから必要なかったのかも知れない。 ただ、この山陽鉄道会社というのはユニークな会社だったようで・・・。 私鉄に先駆け、食堂車や寝台車の連結もしたりして、そのアイデア商法は評判が高かったようだ。 鉄道に関するアイデア商法といえば・・・。 真っ先に思い出すのが私の大好きな実業家、阪急創始者の小林一三のコトだ。 何もないところに鉄道を通した小林一三は、どうしたらそこに客を乗せるコトができるかと策を練る。 そこで沿線の土地を買い取って、日本で初めての長期ローンによる建売住宅の販売をしたり・・・。 終点だった宝塚には、歌劇団と劇場を作った。 また、日本で最初のターミナルデパートを作ったのも小林一三だ。 この小林一三のアイデアをヒントに自社の経営を発展させた男がいる。 「よし、小林さんがデパートで人を集めるなら、うちは学校で稼がせてもらおう」 強盗・慶太の異名を持つ、東急の五島慶太だ。 渋谷から横浜・桜木町を結ぶ東急東横線の途中に日吉という駅がある。 この日吉に持っていた広大な土地を五島慶太は、慶應義塾大学に無償で提供。 おかげで東横線には半永久的に通学定期代が入るコトになった。 今でそこ、こうしたやり方も珍しくはなくなっているが・・・。 五島慶太がやった時には実にセンセーショナルだったし、おそらく社内には反対派も大勢いたコトだろう。 ところで今年も高校野球のシーズンを迎えたけど・・・。 そもそも全国高校野球大会というアイデアも小林一三が新聞社に持ちかけたモノだ。 動機はもちろん、自社沿線にあった野球場に人を集めるため。 だから第1回から確か2、3回までの全国高校野球大会の決勝は甲子園では行われていない。 なぜ途中から甲子園で行われるようになったかと言うと・・・。 全国高校野球大会の人気があまりにも高くなり過ぎて・・・。 当時、阪急が持っていた球場では客が収容できなくなったうえ、電車もパニックに陥ってしまったからだ。 そこで小林は泣く泣く自らの企画をよそへ譲った・・・というワケ。 もっと大きな球場や輸送設備があれば、みすみす人に譲るコトはなかったのに。 「くそう! 金さえあれば」 と、この時、小林はたいそう悔しがったという。 大実業家のアイデアは、とても真似できないけれど・・・。 この気持ちだけなら、私にもわかる。
参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊 ほか
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