Episode No.2885(20071119):
憧れの人の、そのまた憧れの人
東京大学法学部卒業。
しかし、官僚になるのは嫌だった。
型にはめられた仕事ではなく、
もっと自由な仕事がしたいと思ったのは
・・・今時の若者とちっとも変わらない。
そこで・・・
当時の花形産業だった映画界に飛び込んだ。
黒澤明監督が
「七人の侍」を発表した頃の話だ。
「七人の侍」を観て・・・
これぞ映画だ、と彼は思った。
しかし、彼が入社したのは
黒澤組がある東宝ではなく、
まずアクションものなど作らない松竹。
小津安二郎監督の映画を観て
絵は動かないし、話も地味過ぎる。
・・・こんなの映画じゃない、と彼は思った。
だが・・・
やがて彼が世に送り出した作品は、
小津安二郎監督や木下恵介監督など
松竹が産んだ匆々たる監督の影響を
色濃く受けたものばかりだった。
これが伝統なのか・・・と振り返って彼は思った。
有名監督となった彼は
晩年の黒澤監督と交流を持った。
彼にとっては憧れの名監督だ。
或る日、
彼が黒澤監督の家を訪ねると
黒澤監督は一人、熱心にビテオを見入っていた。
そのビデオは・・・
小津監督の代表作「東京物語」だった。
憧れの監督は・・・
当時、自分が理解できないばかりに
小馬鹿にしてしまっていた小津作品の
熱心なファンだったのだ。
彼は小津作品を観る黒澤監督の姿が
今も忘れ慣れないという。
彼の名は・・・山田洋次。
先頃、80本目の監督作品を完成させた。
その80本のうち、半分以上は、
もちろん大人気シリーズ
「男はつらいよ」・・・だ。
参考:NHK「100年インタビュー」山田洋次編