20071118
でじたけ流 教育論

第381回

失敗のススメ


子供が、できるだけ失敗しないように導いてやるのが
・・・人生の先輩としての親の役目。

ことに病気や怪我のないよう、
危機管理をするのは保護者の義務。

しかし、それは・・・
子供に何も失敗をさせないこととは違う。

むしろ、危険から遠ざけるだけ
・・・なら、比較的簡単だ。

転ばなければ
自転車に乗れるようにならないのと一緒で、
時に転ぶことも必要なんだと思う。

絶対に失敗がないなんてことは、
たとえ大人になったってないんだし、
もし仮に・・・
失敗を知らないで社会に出たら
・・・その方がよほど怖い。

むしろ・・・
転ぶと危険なバス通りに出る前に、
上手な転び方や起きあがり方を
・・・身をもって覚えさせなければならない。

同時に・・・
子供にトラブルが生じることは
親が親としてあるためにも
・・・必要なことだと思う。
あるいは、家族にとっても、ね。

平穏無事でいることが
何よりの幸せ・・・と思っていると
実はそうばかりではなく、
本当に幸せを感じるのは、
家族みんなで苦難を乗り越えた時だったりする。

先日、NHKの「100年インタビュー」という番組で
山田洋次監督が、こんなような話をしていた。

「寅はとんでもないトラブルメーカーだけど、
 そういうトラブルメーカーも家族には必要なんです。
 騒動があるから家族が結束する。
 家族のありがたみもわかるわけなんです」

騒動と祭は、ちょっと似ているな、とも思った。
台風が近づいて来た時とかも。

確かに、そういう非日常的なことがないと、
家族やチームという集団は、
なかなか結束がはかれない面がある。

外的がないが故に
身近に敵を作ってしまうようなところが
人間には少なからずある。

敵や問題があるから
一生懸命に知恵を絞って、それと戦おうともする。
必要悪とはこういうことなんだろう。

そして・・・
同じ苦労を共にしてこそはじめて
・・・戦友が生まれる。

こんなことは、まずあり得ないんだけど・・・

もし、子供が
一切叱らずに済むような態度を終始していたら、
親も親らしくはならないだろう。

子供に目配せをして、
その都度繰り返し叱りながら、
実は親も親らしくなっていく。

子供に不始末をさせないのではなく、
不始末を処理する見本を
親として示さねばならない時もある。

子供と・・・
子供以上に自分に対して過保護なばかり、
失敗を失敗と認めさせないのは
・・・言語道断だ。

叱るのも叱られるのもストレスには違いないが、
ストレスを越えながらでないと、
人は何者かにはなれないわけで・・・
ストレスを避けるような無関心ななり振る舞いは
・・・成長をも拒否することにもなりかねない。

誰だったかは忘れてしまったけれど・・・
或る偉人の言葉に、こんなのがあった。

「愛と正反対のもの・・・それは無関心である」



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