Episode No.1028(20011211):把手のないナイフ
「不遇はナイフのようなものだ。
ナイフの刃をつかむと手を切るが
把手をつかめば役に立つ」・・・メルヴィル(米・作家)
つい先日、紹介したこの言葉が・・・自分でもすごく気になっている。
仕事のうえでのやりとりは、たとえアクジデントが発生しても
まるでスカッシュでもするような爽快感さえあるのだが・・・
見えない敵とのやりとりは・・・
ナイフを突きつけられたり、突きつけたり
物騒な例えが似合うほどクールだ。
見えない敵とは何か・・・?
あまりにも抽象的で説明しづらいのだが
それは時には時間であり、時には自分でもある。
敵だとわかっていれば粉砕することは容易だが
敵として葬り去ることのできないモノ・・・
それが見えない敵の正体かも知れない。
厄介なのは・・・
突きつれられたナイフに把手が見あたらない場合。
自分が突きつけたつもりのナイフでも
把手がなければ扱いにくいし、ヘタをすれば怪我をする。
ナイフには把手がついているもの・・・
というのは一種の固定概念で、言い換えれば一般的なルール。
だけど・・・
世の中はすべてルール通りに動いているというワケではない。
先日観た、三島由紀夫の主演映画
『からっ風野郎』という映画にこんなセリフがあった。
刑務所から三島扮する朝比奈が出所することを知った敵役の組での会話。
「そんなに奴を恐れる必要はない。どうせ奴はバカですよ」
「バカだから・・・怖いんだ。何をしでかすかわからねぇ」
ルールを知っているヤクザは決して人を殺さないが
何も知らないチンピラは平気で人を殺す。
会社なり、学校なり・・・
組織に属して暮らすことの最大の利点は
そこにルールがあって、そのルールさえ守っていれば
仮に世間のルールからはずれていたとしてもと、
とりあえず平穏に生きていけるということ。
最も組織自体が世間のルールをまったく逸脱していたら・・・
組織自体の存続は危ういが、
少なくとも中にいる個人が矢面に立たされることはまずない。
まずはナイフを正しく扱えることが第一。
それができないと、どこにいても怪我をする。
そして・・・
組織を越えた活動をしようと思ったら
把手のないナイフにも立ち向かえるだけ何かを持つ必要がある、な。
昔、ある峠道でバイクと車の正面衝突を目撃した。
車がカーブを曲がりきれずに反対車線に進入しての事故だった。
バイクは大破・・・幸いライダーに意識はあって
「俺は悪くない」と念仏のようにつぶやいていたが・・・
こんな激しいカーブを走っているのだから、
そういうことも想定してもっと左よりを走らないと・・・
正しくても痛い思いをするのは自分だ。