Episode No.857(20010525):孤独のとらえ方
今日、5月25日は・・・
「全体とは、1個人の拡大された陰である」
という言葉を遺した思想家、エマーソンの誕生日。
1803年生まれのエマーソンは、哲学者であると同時に詩人としても知られ・・・
近代国家としてのアメリカに影響をおよぼしたこされる。
で、今日は先日の"孤独"についての続きのような話。
また、岡本太郎の言葉を紹介したい。
「"お互いに"とか、"みんなでやろう"とは言わないことにしなければなりません。
"誰かが"ではなく、"自分が"であり、
また"いまは駄目だけれども、いつかきっとそうなる"、"徐々に"
という一見誠実そうなのも、ゴマカシです。
この瞬間に徹する。
"自分が、現在、すでにそうである"と言わなければならないのです。
現在にないものは永久にないというのが私の哲学です。
逆に言えば、将来あるものならば必ず現在ある」
あまりにも強すぎて、
つい目を伏せてしまいたくなるような人もいるかもしれないけれど・・・
これが真実だと、私も思う。
孤独を感じたり、個人の無力さを感じたりする人の中にも、いくつかのパターンがあって
自分はこうだ・・・というのと世間との折り合いがつかない人もいれば
自分はこうだ・・・と言えずに暗中模索しっぱなしの人もいる。
とちらが先に、次のステージに踏み出せるかと言えば・・・やっぱり前者。
伝えたい内容がハッキリとある人なら、それを受け止めてくれる人にも巡り会えるだろう。
「誰もわかってくれない」・・・なんて、斜に構えた人に
こう尋ねると、たいてい感情的になって怒り出す・・・「何を?」
本当は自分に対して一番イラ立ちを感じているはずなのに・・・
それを他人にブツけて発散しようとする人も少なくはない。
そりゃあ誰だって本当は自分のコトが一番わからない。
でも、わからないから、いろいろ頑張ってやってるワケだし・・・
わからないコトを理由に何もしない人には・・・やっぱり永久にわからない。
「何もしてないわけじゃない、ちゃんと考えてる」・・・って言っても
意地悪な私としては、やっぱり聞きたくなっちゃうな・・・「何を?」
どんなに取り柄のない奴だろうと、たとえ犯罪者だろうと・・・
無条件に受け入れてくれるのは「親」だけだよ。
世間の誰かに「親」がわりを求めてるとしたら・・・
まだまだ「子供」だって証拠だよ、ね。