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Episode No.596(20000725):覚悟の時

満州事変を発端に15年の長きにわたって世界を震撼させた人類史上最悪の戦い・・・
太平洋戦争が終結したのは1945年・・・今年でちょうと55年目になった。

その7年前といえば・・・暗黒の渦が今まさに世界を包み込もうとしていた頃。
まだ正義の神軍だった
ナチスが、ウィーンに侵攻を開始したのは1937年3月13日のコトだ。
ウィーンの街中をハーケンクロイツを付けた捜索隊が不作法に荒らし回るが誰も止めるコトはできない。

ユダヤ人である師匠の身を案じた弟子は、亡命を進言した。

「いや、私は絶対にこの地を離れんよ。
 78年も住んだウィーンを離れることは、兵士が持ち場を放棄するようなものだ」

しかし、そこは優秀な弟子・・・頑固な師匠を前にたじろぎもせず、そっと言った。

「先生・・・
 タイタニック号の船長は決して船を見捨てませんでした。
 しかし、船は彼を見捨てました。
 先生ひとりの命ではありません。後のことは私が何とかいたします」

その言葉を聞いて静かに目を閉じた師匠は、やがてポツリと言った・・・「わかった。よろしく頼む」

師匠の名は、
ジグムント・フロイト・・・『夢診断』で知られる精神分析の父である。

無意識という概念を説き、無意識を意識化させることによって患者の悩みを取り除いたフロイトだが・・・。
彼もまた長い間、ノイローゼに悩まされていた。

そもそも彼が精神科医を志したのは、
ゲーテについての講演を聴いたことがきっかけらしい。
ただし、何も深い哲学的な悩みを科学的に解決しようと思ったから・・・だけではない。

妹の友達として知り合った、後の妻、マルタとの恋が大きな理由のひとつだ。

マルタとはすぐに深い恋に落ちたものの、当時、フロイトは一介の研究室助手。
マルタの母親は「そんな男といっしょになっても給料が少なくてやっていけない」という理由で、二人を引き離すため、家ごと引っ越すほど激しく反対していた。

「結婚するためには収入の得られる臨床医にならなければ」
これが、開業医としてさまざまな症例を通し、精神分析を世界中に広めたフロイトのはじめの一歩。

もしもフロイトが結婚を反対されていなければ・・・
精神分析の歴史は変わっていたかも知れない。

弟子の勧めで妻や子供たちとイギリスに亡命したフロイトは・・・
1939年9月23日、83歳でこの世を去るまで論文を書き続けた。

最後の論文は『精神分析学概説』。
そのひとつ前が『モーセと一神教』・・・これは、ユダヤ人がなぜ迫害されるのかという研究書だ。

ちなみにウィーンに残った4人の妹たちは・・・
フロイトが亡命した5年後にナチスの強制収容所で焼き殺されている。

世の中の役に立つ偉い人間になるためには・・・
自分に降りかかった
運命に対して敢然と立ち向かっていくしかないようだ。


参考資料:「フロイトの心の神秘入門」福島 章=監修 講談社=刊

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