「夢をみている人間が現在だと思っている未来は、不壊の願望によって、かの過去の模像として作りあげられているものなのである」
ジークムント・フロイトが1900年に発刊した『夢判断』の最期の一説は、こう締めくくられている。
フロイトが結論づけた寝てみる夢の正体は、すべて過去の経験に基づくものであり、未来予知などは"古い信仰"に過ぎない・・・と書かれている。
過去の経験に基づいてできる願望を満たす夢は、ある意味では未来をみているのかもしれない・・・とは補足されているものの、基本的に夢はすべて過去の再現だというのがフロイトの解釈なようだ。
日本における"夢"研究の第一人者といえば、東京工業大学教授の宮城音弥先生。
最近、マスコミなどではお見かけしないが、テレビでコメントする大学教授の先駆け的存在のお方。
実は、宮城先生とは仕事の関係で2度ほどお目にかかったことがある。
うち、1度は"夢とは何か?"というテーマでご自宅でインタビューさせていただいた。
その時うかがった話をちょっとご紹介しよう。
そもそも何故、人間は夢をみるのか?
眠るから夢をみる・・・わけだが、厳密に言えば眠るためにみているのが夢だという。
つまり体を休めるために眠る必要があるのだが、眠ることに集中するために夢をみせられている・・・というわけだ。
中には悪夢にうなされて、かえって目が覚めてしまうこともあるが、そうなると問題は夢の種類ということになる。
フロイトが説いたように、過去の経験にもとづいてみる夢や願望によってみる夢は確かに一般的ではあるが、夢を研究して半世紀以上になる宮城先生が最後に説明してくださった話は、とくに興味深かった。
「もうひとつはね、超能力の夢。超能力としか説明がつかない夢の話は実際にあるんです」
殺された男が肉親に夢で犯人を教えたり、事故で死んだ人が自分の遺体の場所を夢で伝えたりしたという事例は、どう考えてもほかの夢とは異質で別に分類せざるを得ない。
その真意は、まったくの謎だ。
人生の3分の1は寝て過ごすというが、せっかくみた夢を楽しめないと人生の3分の1を損しているような気にもなってしまう。
ところで宮城先生も、もう90歳以上になられていると思いますが・・・お元気でしょうか?