Episode No.335(990922):ビジョンはあるか? 9月22日・・・リンカーンが奴隷解放宣言を出してから、今日でちょうど137年が経つ。 国の元首同士が会談を行うと、たいてい何かしらの共同声明を出したり、何とか宣言に署名したりする。 モノごとを動かそうとするためには、"自分の立場・考えをはっきりと人々に告げる"ための声明や、"個人または団体が、その意志や方針を世間に対して表明する"ための宣言が、まず第一に必要と考えられる。 ビジョンを明確に示せない経営者には、社員がついて来ない。 会社に限らず、組織運営というモノは、そういうモノだと思う。 現状を的確に把握したうえで、自分たちが具体的にとの方向に努力すればいいのか・・・それが見えてこなければ、頑張りようもない。 だだ「頑張れ!」とか「努力しろ!」と怒鳴っているだけでは、まるで応援団長。 時には集団の中に応援団長のような人材も必要とはなるが、応援団長と船頭の仕事は、まるで違う。 一番声の大きな人間がリーダーになれると思ったら大きな勘違いで、それでは猿山のボスにもなれないだろう。 ビジョンを打ち出せてこそ、ようやくそこがスタートライン。 目の前には、これから走るべき道が見える。 そこに並べない限りは、ただ練習場で同じところをグルグルまわっているだけに過ぎない。 努力は本当に大切だとは思うが、怖いのは、無駄な努力をしていても同じだけ時は経つというコト。 人生に無駄な経験や努力などない・・・という人もあろうが、明確なビジョンのうえにない努力は、やっぱり無駄だと思う。 ちょっと極端な意見かもしれないけれど、そんなのは、努力することを目的とした"努力マニア"のセリフだと思う。 成功は結果であって目的ではない・・・というエライ人の言葉があるけど、それになぞって言えば、努力はプロセスであって目的ではない・・・だろう。 学校では、努力の大切さを教える。 それは、間違っていないと思うが、裏返せばそれは努力さえすれば結果はどうでもいい・・・という人間を作るコトになる。 戦後教育の一番の目的は、優秀な役人を育てるコトだった。 それには、余計なビジョンを描くより、ただただ言われたコトに対して努力してくれる人間の方が都合が良かった。 しかし、もうそんな時代は終わりだ。 誰もが、そうは思っているだろうけれど、あいかわらずビジョンを描くのは苦手。 さらに、それが苦手で民間企業に受け入れてもらえなかった筆頭の人たちが教師をやっているのが現状だ。 中にはいい先生もいるかもしれないけどね。 本当にいい先生にとっては、たまらんシステムだろうな・・・あいかわらず。 さて、国家を動かすまではいかなくても、少なくとも自分の人生には、しっかりとしたビジョンを持ちたいもの。 自分なりのビジョンは、学校の宿題のように、決して他人から与えられるモノではない・・・だろう。
参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
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