「なぁ、お前。みんなは俺たちのことを土方と言うが、俺たちは一番デカイ芸術家だ。バナマ運河だって、スエズ運河だって、俺たちの仲間が作ったんだ。俺たちは地球の彫刻家だ」
泥まみれになって働く15歳の少年の心に、先輩のこの言葉は生涯の支えとして刻まれた。
小学校しか出ていないこの少年が、中卒以上でなければ応募資格のない県の土木派遣所に採用となったのは、履歴書に書いた字が中卒以上にうまかったからだという。
同じく15歳の頃、彼は初恋をした。
相手は、役場で電話番をしていた3つ年上の女性だった。
何度かはデートもしたが、この恋が実ることはなかった。
彼は新しい仕事のために上京することになったのだ。
彼が上京する日のこと。
出発の駅で彼は電話番の彼女をホームに探したが、その姿は見えない。
無情に動きはじめた汽車の中で、彼は胸の締め付けられる思いを感じていた。
が、次の駅につくと、そこには彼女の姿があった。
彼女は人目をはばかって、あらかじめ次の駅まで来ていたのだ。
そこで彼女に2人でよく歩いた神社のお守りを受け取り、彼は故郷を後にした。
努力家・・・というよりは、人一倍の負けず嫌いだった彼は、19歳で独立。
25歳の頃には、全国土建業でベスト50位入りをはたしていた。
28歳になる頃、勢いに乗って政界入りを目指した彼が故郷で初めての演説会を開いた時。
最前列に2人の子供を抱えた女性の姿があった。
お守りを渡してくれた彼女である。
この時の演説に一層の力が入ったことは言うまでもないが、この時の選挙では惜しくも落選。
だが、彼の政治能力をその何年も前に見抜いている男もいた。
かつて材木屋をしていて、後に運輸大臣などを歴任する荒船清十郎は、ハタチ頃の彼に会っている。
「実にきっぷのいい男だったよ。メシを食わせてやったらお礼にと言って浪花節をうなったのを覚えてる。金儲けをやらせたら財閥並みになるまでやる・・・政治をやらせたら総理大臣になる男だとニラんだな」
その予想通り、彼は1972年の今日7月6日、自民党総裁選挙に当選し、総理大臣に指名された。
田中角栄54歳。
歴代最年少の首相が掲げたのは、日本を彫刻する・・・日本列島改造論だった。