Episode No.1345(20021216)
流れを変える知恵

「私はスポーツと音楽好きで学歴もあり、
 そしてやさしさをそなえた億万長者です。
 あらゆる点で、W.S.モーム氏の
 最近の小説の主人公そっくりの
 若くて美しい少女との結婚を希望する」

ロンドンの新聞に、こんな広告が載った。

サマセット・モームといえば・・・
『月と六ペンス』などで知られる人気小説家。

モームは、もともと医者で
ロンドンの貧民街で診療を行っていたが
後に小説家を志し・・・
貧民街での医療体験をもとにした
『ランベスのライザ』でデビューを果たしている。

冒頭の広告記事を見たロンドンの女性たちは
色めき立った。

ひょっとして自分に白羽の矢が立つかも知れない。
そんな、ほのかな希望を胸に
こぞってモームの小説を買い、
大富豪の好みの女性を研究した。

小説家デビューは果たしたものの・・・
その後、なかなか売れなかったモームの小説は
こうしてヒットした。

モームにとっては大富豪様々だが・・・
何のことはない。
大富豪を語って広告を出したのは
・・・モーム自身だったのだ。

いかに優れた小説だろうと
いかに便利な製品だろうと
知られなければ役には立たない。

騙して買わせるだけなら
ただのペテン師だけど・・・
本当に中身に自信があれば
たとえペテン師の真似をしてでも
世に知らしめる知恵が時には必要だ。

本田宗一郎が融資ほしさに
銀行の支店長の前でカッポレを踊ったのだって、
三島由紀夫が自作を出版するために
親族のツテを利用して印刷用紙を確保したのだって、
その後の姿が示せなければ
ただのペテンに終わっていたはず。

正直でいるだけじゃあ・・・
世の中の流れに逆らって
自分の流れを作り出すことはできないよ、ね。

モームが亡くなったのは・・・
37年前の今日、1965年12月16日。
満足のいった91年の生涯だったに違いない。


参考資料:「歴史の意外なネタ366日」中江克己=著 PHP文庫=刊