Episode No.887(20010629):夢ざかりの檄

今日、6月29日は・・・
『丹下左膳』などで知られる作家、林不忘の命日。

林不忘は別名、文壇のスーパーマンといわれた男。

なぜ、スーパーマンなのかと言えば・・・
時代小説では林不忘、家庭小説では牧逸馬、推理怪奇小説では谷譲次・・・と
分野別に3つのペンネームを使いこなし、それぞれでヒットを飛ばしたからだ。

が、無理がたたったせいか・・・
1935年6月29日、36歳という若さで亡くなっている。

ところで、作家の猪瀬直樹が今、
NHKの「人間講座」で「作家の誕生」という講義をしている。
この間、偶然テレビを見ていて知ったんだけど・・・なかなか面白い。

猪瀬直樹といえば、最近では『ピカレスク太宰治伝』で
実際に太宰と交流のあった人たちを直接取材して
これまでにない人間・太宰伝をまとめ話題にもなった。

久々に書店のテキスト・コーナーで「人間講座」のテキストを買ってみた。
講義の放映は、2001年6月4日から始まっていて、全9回。
さすがは教育テレビ、再放送どころか再々放送のスケジュールまで載っている。

取り上げられている作家は、菊池寛から三島由紀夫まで
もはや伝説の天才作家たちばかり。

まだ講義が進んでいないところまで読んでしまうのも何だけど・・・
このテスキトだけでも結構な資料になる。

つい先読みしてしまったのが・・・三島由紀夫の項目。
講義では一番最後に太宰治といっしょに取り上げられている。
テーマは「自己演出の極限を目指す」。
なかなか・・・うなずけるタイトルだ。

内容は、太宰と三島の交友関係から
講座のテーマである"どうやって作家になったか"という知られざるエピソードへと進む。

三島由紀夫が、東大から大蔵省に進み
やがて作家活動が忙しくなって、ひどい寝不足に陥り
二足のワラジから作家生活一本に絞ったのは有名な話。

しかし、このテキストには、それ以前の三島
・・・本名、平岡公威(きみたけ)の隠された履歴が解説されていた。

三島の処女出版『花ざかりの森』が世に出たのは、昭和19年秋。
三島が東大に入った年のことで、まだ19歳だった。

当時の日本は戦時下で印刷用の紙の手に入らない時代。
そんな時に、わずか19歳の
まったく世間に知られていない作家の作品が何故、本にできたのか?

三島の祖父、平岡定太郎は政争で失脚したとはいえ、元樺太庁の長官を務めた人物。
そこで三島は祖父のコネを使って王子製紙にわたりをつけた。
「平岡定太郎のお孫さん」三島は、こうして本を出版できた。

『花ざかりの森』初版4,000部は瞬く間に売り切れた。
最も作品の出来不出来以前に・・・
満足に本が流通していないという時代背景も、それを助けている。

こうして「実績」を手にした三島は作品を発表し続けたが
それでも大学を卒業する頃には、まだ「食べていける」までにはなれず
とりあえず役人にならざるを得なかった・・・というワケ。

三島が若くして、類い希なる文才を発揮したのは疑いもない事実。
ただし、文才がある・・・というだけで食べていれるほどプロの世界は甘くない。
それは、天才・三島にしても同じ。
いかに才能があろうと、それを世間に知らしめる手段なくしては・・・商売にはならない。

自分ひとりで腕を磨いているつもりでいても・・・それは、しょせん趣味。
プロの腕は世間にもまれてはじめて磨かれるモノだと、あらためて痛感したなぁ。

NHK教育テレビ「人間講座〜作家の誕生」の再々放送は
2001年7月7日(土)午前1:15から開始。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「NHK人間講座2001年6〜7月〜作家の誕生」猪瀬直樹=講師 日本放送出版協会=刊